モーセを求め、モーセの知らなかった世界へ Jorink, "Noah's Ark Restored (and Wrecked)"

  • Eric Jorink, "Noah's Ark Restored (and Wrecked): Dutch Collectors, Natural History and the Problem of Biblical Exegesis," in Silent Messengers: The Circulation of Material Objects of Knowledge in the Early Modern Low Countries, ed. Sven Dupré and Christoph Lüthy (Münster: Lit, 2011), 153-84.

 自然誌、文献学、古代文書の権威の関係が初期近代に変容するさまを描きだした傑作である。著者は大いなるパラドクスを提示してみせる。

 初期近代の自然誌研究は多様な動機によって行われていた。重要な動機として、モノの収集をテキストの理解のために行うというものがあった。テキストとは異教古代の著作であり、聖書である。たとえばアルドロバンディは聖書に現れるあらゆる自然の事物を同定しようと願い、そのためのコレクションを整備していた。アルドロバンディらの例にならい、16世紀末にオランダで巨大な自然誌コレクションをつくりあげた人物にBernardus Paludanusがいる。彼は東西からもたらされるあたらしい情報を摂取しながら、古代の著作を解釈しようとした。コレクションの重要な一角を占めていたのがミイラである。ファラオの時代のエジプトより来るミイラは、聖書に描かれた古代エジプトを知るための重要な手がかりであった。

 ライデン大学の解剖学劇場でも自然誌のコレクションが整備されていった。立役者はOtto Heurniusである。彼は聖書時代のエジプトに由来する事物を数多く収集した。その事物をもたらしたのが、ライデン大学で東洋語を学んだDavid le Leu de Wilhelmである。Le Leuは商人としてシリアとエジプトに滞在しており、ミイラを含めた貴重な収集品をHeurniusにもたらした。ミイラが提供する古代エジプトに関する情報は、モーセヘロドトスプリニウスが提供する同地の記述を補完する。Heurniusはまたヒエログリフに強い関心を示していた。ヒエログリフはバベル崩壊以前、いやそれどこから神が十戒を通してヘブライ語を与える以前の、アダムの言語であり、そこでは事物と名前が完全に一致している。こう考えるHeurniusにとって、ヒエログリフのコレクションとはアダムの時代をあらわす遺物なのであった。このように1650年代までのオランダでは自然誌と古典解釈は相互に補完しあうものであった。

 この一体性はしかしやがて崩れはじめる。Johannes de Laetは1625年から、アメリカ大陸より来る情報を報告する書物を出版しはじめた。異教古代も聖書も知らない地域の情報が流入しはじめることにより、従来の世界理解の枠組みが揺るがされはじめる。本当にすべての民族、言語、動物はエデンの園よりきたのか?アダムより古い人間がおり、洪水にもみまわれずに生き残り、いまに至っているのではないのか?これにイエスとこたえたのがIsaac La Peyrèreであった。

 La Peyrèreが著作を準備しているなか、その草稿を閲覧したグロティウスは反論を発表する。彼は聖書の記述の正しさを証明するため、アメリカにいる人々もやはり欧州から来たのだと主張した。その論拠の一つは、メキシコの言語とゲルマンの言語のあいだに類似性があるというものだった。だがこれにde Laetが反論を加える。これら二つの言語のあいだには親和性はまったくない。旧大陸と新大陸は動植物相の違いからもわかるように、まったく別である。このような主張をde Laetができたのは、彼が聖書が関与する古代の問題と現代の問題を切り離して考えていたからである。切り離されている以上、現状に関する否定が聖書の記述の真正性という過去をめぐる問題に結びつくことはない。de Laetが切り離しを行った理由の一つは、彼が新大陸からもたらされる新規な自然誌の情報を整理し提供する立場にいたからであった。聖書にも、アリストテレスにも、プリニウスにもないナマケモノを紹介するにあたっては、古代の文書と切り離した現在の情報を提供するしかない。

 de Laetが切り離したものをLa Peyrèreは接続した。アメリカと欧州の過去をつなげようとするグロティウスの試みは、de Laetが言うとおり根拠がない。新大陸と旧大陸の過去は切り離されている。アダム以前よりそこには人間がいたのだ。このように主張したLa Peyrèreは、実はde Laetやその他のオランダの自然誌家からヨーロッパ外の民族とその歴史について情報を収集していた。これらの地域の情報を学んだことがLa Peyrèreの異端的見解を生み出した一因であった。

 より学識ある立場から、危険な見解を唱えたのが、ほかならぬグロティウスの弟子であったIsaac Vossiusである。彼もまた非ヨーロッパ、とりわけ中国から来たる情報に強い関心を示していた。Vossiusによれば中国人こそが世界で最も学識ある人々であり、中国で伝えられる書物のなかにはモーセ以前のものがある。では洪水は?それが全地球を覆ったとは考えられない。世界各地に伝わる洪水伝承は、それらが互いに異なった時期に起こったことを示している。

 こうして聖書の権威は掘り崩されていった。ここにパラドクスを認めることができる。事物を収集し、文献学を洗練させたのは、古代世界が伝える文書を理解するためであった。だが行き着いた先は、古代文書の信頼性の崩壊であった。アリストテレスプリニウスモーセも知らなかった世界がたしかに存在したし、今も存在する。こうしてモノとテキストがつくりだす円環の理は瓦解した。大きな解釈枠組なきあと、モノをめぐる解釈はいっそう不安定化していくことになるだろう。