ナラティブの復権 Stone, "The Revival of Narrative"

 1970年代に起きていた歴史学の転換をその渦中から報告した有名な論文を読みました。著者自身がすでに予見しているとおり、今から見るとまとめることのできない複数の動きをナラティブの復権という視角からまとめてしまっています。しかしそれでも当時の歴史学の動向をよく伝えています。

 過去の出来事をそれが起こった順番に人間を中心にすえて記述するというナラティブは古代から歴史記述の中心を占めてきました。しかし20世紀の半ばごろから、異なる種類の歴史記述が隆盛します。アナール学派は事件史を軽侮し、歴史の深層にある経済的・人口学的な次元に目を向けました。数量経済史もまた大量のデータをコンピューターを使って処理することで、伝統的歴史学が取り逃がしてきた歴史上の変化の原因を突き止めることができると主張しました。これらのモデルに従うなら、人口、食料・金属供給、気候、価格が、価値、観念、慣習を規定するのであってその逆ではありません。しかし実際には両者は双方向的に規定されています。また政治や軍事上の問題・出来事が社会構造を決定づけることがあるのは明らかであるにもかかわらず、これらの側面を歴史の最深部ではないとして等閑視してよいのでしょうか。量的な歴史学は歴史の記述をより正確なものにはしたものの、「なぜ」という問いには答えられず、数量経済史にいたっては膨大な労力を費やして当たり前のことを証明するという帰結を生み出しました。

 歴史を経済ないしは人口の問題に還元してしまうことの不毛さを悟った歴史家たちは、70年代より新たな問いを立てはじめます。過去の人々は何を考えていたか。過去に生きるとはいかなることだったのか。構造的で集合的で統計的な従来の歴史記述からは排除されていたこれらの問いに答えるには、ナラティブを用いる必要がありました。その時に主として援用されたのは人類学でした。ナラティブの復権は歴史家が援用する社会科学を、社会学ないしは経済学から人類学へと切り替えることによって起こったのです。フィリップ・アリエス、ピーター・ブラウン、ジョルジュ・デュビー、カルロ・ギンズブルグ、ル・ロワ・ラデュリ、ロバート・ダーントン、ナタリー・デイヴィス、キース・トマスらの研究はみなこの「新しい歴史学」の範疇に含まれます。これらの研究の多くは、伝統的な歴史記述と同じくナラティブをその基礎に置いているものの、いくつかの従来にはない特徴を備えていました。新たな史料、とりわけ裁判資料から、貧しくあまり知られていない者たちの生活、感情、行動を記述・分析し、そこから彼らの無意識や、その行動の持つ象徴的意味を明らかにする。そうすることで過去の文化や社会がいかに機能していたかを明らかにすることを目指すのです。

 これらの研究に問題がないわけではありません。集団ではなく個人に着目するとき、その人物の事例から過去の文化の何らかの側面が明らかにされるには、その人物は典型的な人間でなくてはならないように思えます。しかし法廷に連れてこられる人物はいかなる意味で典型的なのでしょう。またセンセーショナルな事件に着目しすぎることで、大部分の人間たちの退屈で単調な人生をないがしろにしていないでしょうか。そもそも歴史記述に見られる一連の変化をナラティブへの回帰という枠組みでひと括りに理解できるとも思えません。しかしそれでも歴史学の領域で今起こっている変化を暫定的なかたちでまとめるならば、ナラティブという術語は有用なものとなるでしょう。