デカルト主義、ガッサンディ主義、実体変化 Ariew, “Cartesians, Gassendists, and Censorship”

Descartes Among the Scholastics (History of Science and Medicine Library: Scientific and Learned Cultures and Their Institutions: Vol. 1)

Descartes Among the Scholastics (History of Science and Medicine Library: Scientific and Learned Cultures and Their Institutions: Vol. 1)

  • Roger Ariew, “Cartesians, Gassendists, and Censorship,” in his Descartes among the Scholastics (Leiden: Brill, 2011), 267–94.

 17世紀後半のフランスでの二大思潮であるデカルト主義とガッサンディ主義のそれぞれの支持者が、ふりかかる批判や検閲にどう応じたかを分析した論文を読みました。カトリックは1663年にデカルトの著作を禁書目録に載せました。しかしフランスではカトリックによる検閲は十分な効力を持ちませんでした。効果のあるデカルト主義に対する弾圧がはじまったのは、1671年に王の名のもとに布告が出て、デカルト哲学を大学で教えたり著作で解説したりしてはならぬと命じられてからです。布告では物質即延長というデカルトの教えがカトリックの実体変化(パンがキリストの肉体となる)を説明不能にするとして批判されていました。実際アンジュー大学では禁じられた学説を教えた(そのなかにはデカルトの学説が多かった)として4名の教員が批判されたり追放されたりしています

 一方パリでは神学部と医学部がデカルト主義弾圧に加わったものの、学芸学部は何らの対応も取りませんでした。これはアルノーが匿名で出版したパンフレットの効果のためかもしれません。アルノーによれば哲学と神学は切り離されるべきなので、ある特定の哲学の教えが実体変化を説明できないからといって、それを弾劾することは宗教的に有害です。また著名なイエズス会士らもまた実体形相を否定しているので、デカルトのみに批判を集中させることは筋が通りません。そもそも実体変化を説明できないという点でデカルト哲学が禁止されるならアリストテレスの哲学も禁止されなくてはならないでしょう。アルノーが我慢ならなかったのは、デカルトが弾圧される一方でガッサンディ主義がお咎めなしですまされていることです。デカルトによる最も確かな神の存在証明と霊魂の不死性を否定したガッサンディがなぜ弾圧されないのでしょうか。彼の哲学は現実に無神論者とエピクロス主義者を生み出しているのに(少なくともアルノー目線では)。

 ガッサンディ主義者の側もデカルト批判を他人ごととしてすましてはいられませんでした。ガッサンディ主義者ベルニエの考えでは、延長即物質というデカルトの哲学が実体変化を説明できないとするならば、分割不可能な原子から延長が導出されるというガッサンディの哲学でも実体変化が説明できないことになってしまいます。そこで彼はガッサンディ主義の擁護に乗り出しました。彼の擁護の要点は二つあり、一つは哲学的議論によってガッサンディの物質論からも実体変化が説明できると主張することでした。もう一つはより哲学の方法に関するものでした。実体形相というのは神の奇跡に関することなのだから、それについて確かなことは理性では分からない。だから、許されているのは、独断論に陥らないようにしながら蓋然的な議論を行うことである。デカルト独断論に陥っているのに対して、ガッサンディの哲学は穏やかな形で説得力のある哲学を提示することができるではないか。デカルト独断論を否定し蓋然主義をとることで、デカルト主義が受けていた弾圧を回避しながら、新たな哲学を擁護しようとベルニエは考えていたのです。

 デカルト主義とガッサンディ主義の境界線は実は時としてあいまいでした。ウォルター・チャールトンのようにガッサンディ主義者でありながら、デカルトの哲学から多くを学んでいる者がいる一方で、Jacque Du Roure, Bernard Lamy, François Bayleのようにデカルト主義にとどまりながらもより経験主義に傾いている者たちもいました。特に後者のようなデカルト主義者はガッサンディ的な経験主義に近寄ることで、弾圧を和らげようとしていたと考えられます(本書9ページ参照)

 その後もデカルト主義に対する弾圧は繰り返しなされました。しかしフランス社会にあった分断のせいでそれらの弾圧は大きな効力を持たず、デカルト主義がフランスから根絶されることはついにありませんでした。