天より来たる自然 Freudenthal, "The Medieval Astrologization of the Aristotelian Cosmos"

  • Gad Freudenthal, "The Medieval Astrologization of the Aristotelian Cosmos: From Alexander of Aphrodisias to Averroes," Mélanges de l’Université Saint-Joseph 59 (2006): 29–68.

 フロイデンタールの大論文から、アフロディシアスのアレクサンドロスを扱った部分を読み直しました。2世紀の終わりごろに活動したアレクサンドロスはいくつかの課題に直面していました。一つは神が摂理によって世界を支配しているというストア派の学説に対抗するため、アリストテレス哲学に摂理の要素を本格的に導入することです。もう一つの問題も摂理に関わっています。一体いかなる摂理の働きによってこの宇宙、および個々の事物は存続しえているのでしょうか。アナクシマンドロス以来複雑性をそなえた複合物は、相互に対立しあう要素からなるギリシア哲学では考えられていました。この伝統上、事物の存続は説明されねばならぬ課題となっていたのです。

 この課題にこたえるために、アレクサンドロスは神(第一の不動の動者)からこの地上の事物に至るまでの統一的な世界像を構想します。不動の動者を認識しそれを欲求することによって、諸天球に宿る霊魂は永続的な回転運動を天界に引き起こします。月下界でのあらゆる生成・消滅はすべてこの天界の運動に依存します。天界の運動が変わることのない神(不動の動者)の認識に端を発する以上、その運動に依存する月下の変化も変わることなく永続します。よって宇宙は存続します。

 天界の運動はいかにして月下の生成・消滅を引き起こすのか。アレクサンドロスが言うに、天の星々はその運動を介して月下界にある「神的な力」を送り込んでいます。月下にある事物の高貴さの度合いは、この神的な力に与っている度合いによって決定されます。天がその規則正しい運動によって、規則正しく神的な力を送り込んでいるからこそ、月下界にも秩序が生まれるとアレクサンドロスは言います。したがって、天界に由来する神的な力こそ、月下の秩序を担保するものです。そのためアレクサンドロスが神的な力を「自然」と同一視していることも納得がいきます。

 神的な力がいかに月下界で働くかについて、アレクサンドロスは2通りの見解を提示します。一つはこの力が四元素に入り込むことで、四元素に互いに組み合わさることでより複雑な事物を構成する能力を与えるという考え方です。もう一つは四元素ですらない単なる質料に神的な力が作用することで、四元素がまずは形成され、それらからさらに複雑な事物が生み出されるという見解です。どちらの解釈にしても質料が神的な力に与ることで、複合的な事物が自らに特有の形相を保持・維持することができるようになるとみなしています(これにより事物の存続も説明できる)。事物が自然本性にしたがって生成するというアリストテレスの考え方は、アレクサンドロスにとって、事物が自然たる神的な力に与ることによって生成すると考えるに等しいのです。

 神的な力がいかに天体から月下界へと伝わるかはアレクサンドロスの理論の最大の弱点でした。おそらく彼が考えていたのは、熱い物体がまわりの物体に熱を伝えるように、天体は回転によってその卓越した性質を神的な力として、月下の事物に伝えているということです。

 以上のようなアレクサンドロスの理論は、アリストテレスの理論を大いに改変しています。1) アリストテレスにとって月下に影響を与える天体は太陽と月だけでした。アレクサンドロスは全天体が影響をおよぼすとしています。2) アリストテレスは太陽の運行が月下界の生成と消滅を統御すると論じています。アレクサンドロスは諸天体は単に生成・消滅を引き起こすだけでなく、月下の事物に形相を与えるとしています。3) アリストテレスは天体と摂理の問題を強く結びつけてはいませんでした。アレクサンドロスは諸天体がその運動により摂理を行使すると強調しています。このように星々の役割を大きく見積もる理論の背後には、当時のローマ世界において占星術が発展すると同時に(プトレマイオスの『テトラビブロス』)、東方から流入し広まりを見せていた諸信仰がどれも大なり小なりの星辰崇拝を示していたという事情があると推測されます。

 ここでヘンリーの論文で論じられていたこととつなげるなら、アレクサンドロスが自然のプロセスに認めていた非理性的な力としての自然というのは、フロイデンタールが論じている神的な力に他ならないことが分かります。思考も選択も介在しない過程がなぜ秩序の形成という帰結を生み出すのか。この難問にアレクサンドロスが与えた解答は、天界の秩序だった運動に由来する力が自然として万物に浸透しているから、というものでした。天界の運行の秩序性が究極的には神に遡るですから、最終的には自然を担保するのも神ということになります。ただしそれは新プラトン主義者のシンプリキオスが想定するような設計者としての神ではなく、愛されることによって他のものを動かす不動の動者としての(つまりアリストテレスが考えたような)神でした。