自然精気の導入 Rocca, "Galen's Natural Pneuma"

Blood, Sweat and Tears -: The Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe (Intersections Interdisciplinary Studies in Early Modern Culture)

Blood, Sweat and Tears -: The Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe (Intersections Interdisciplinary Studies in Early Modern Culture)

  • Julius Rocca, "From Doubt to Certainty: Aspects of the Conceptualisation and Interpretation of Galen's Natural Pneuma," in Blood, Sweat and Tears - The Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe, ed. Manfred Horstmanshoff, Helen King and Claus Zittel (Leiden: Brill, 2012), 629–59.

 17世紀にいたるまで、西欧ではガレノスの3つの精気理論が流通していました。生命精気、動物精気、自然精気の3つです。これらはそれぞれ心臓、脳、肝臓で生み出されるとされていました。しかしガレノス本人の著作を見ると、心臓の生命精気と脳の動物精気(ギリシア語では霊魂的精気)は認めているものの、自然精気は一箇所でしか触れられていません。しかも「もし自然精気なるものがあるとすれば」という表現で言及されるに過ぎません。ではなぜ後のガレノス主義者たちは3番目の精気としての自然精気を疑いなく受け入れたのでしょうか。それはガレノスがプラトン流の霊魂の三能力理論を受け入れていたからです。プラトンのように脳と心臓と肝臓にそれぞれ独自の能力の座を割り振り、かつ脳と心臓にはそれぞれ生命精気と動物精気を置くなら、どうしても肝臓に残る能力に対応するもう一つ精気を認めたくなります。それが自然精気でした。自然精気の想定はガレノス医学の体系化に力を注いだアレクサンドリアの学問伝統のうちで、おそらく6世紀末までにはなされていたものと思われます。しかし明確な精気の三区分論を打ち出し、後世の精気論の方向性を定めたのはフナインでした。彼はその『医学の質問集』のなかで「諸精気はいくつか? 3つ それは何か? 自然精気、動物精気、精神精気である」と断定しています。『医学の質問集』の要約版はコンスタンティヌス・アフリカヌスによって『イサゴゲ』という表題で(なぜかJohannitusなる人物の著作として)ラテン語訳されました。そこでも(アラビア語版とは若干のニュアンスの違いを伴いながらも)3つの能力に対応する3つの精気の存在が論じられています。同じくコンスタンティヌスによって翻訳された『パンテグニ』(Haly Abasの著作)でもやはり自然精気が3つの精気のうちの一つに数えられています。こうしてとりわけ『イサゴゲ』の影響力を通じて、自然精気を含む三精気論がガレノスの学説として受け入れられていくことになります。