天体に似るプネウマ 俵「イブン・スィーナー著『心臓の薬』におけるプネウマ理論」

科学史研究 2012年 06月号 [雑誌]

科学史研究 2012年 06月号 [雑誌]

  • 俵章浩「イブン・スィーナー著『心臓の薬』におけるプネウマ理論」『科学史研究』第51巻(No. 262)、2012年夏、65–73ページ。

 イブン・スィーナー(アヴィセンナ)のプネウマ(精気)論を『心臓の薬』という著作に焦点を当てて考察する論文を読みました。プネウマ論をイブン・スィーナーの世界観の核心と結びつけることを可能にする大変興味深い論考です。『医学典範』のなかのプネウマは、能力を運ぶ。熱い。上昇する。希薄である、とされています。しかし『心臓の薬』ではこれらに加えて、「混和」「天体との類似」「輝き」というプネウマの性質が論じられています。

質の観点から考えると、プネウマの混和状態はたいへんにすぐれており、またその有様もとてもすぐれている。プネウマに備わる輝きは非常に強いので、天体との類似度は大変に高い。

一般にプネウマは諸元素の混合によって生じた物体性を有する実体であり、諸天体に似たものへ向かうような性質を持つ。そのためプネウマは光を帯びる実体であると考えられている。

 心臓にあるプネウマはすぐれた混和状態を達成しているため、天体に似ており、それゆえ輝いていると言われています。プネウマの混和状態がすぐれていて天体と類似することは、イブン・スィーナーの発生論上重様な意味を持ちます。というのも、相対立する性質をうちに抱える四元素とは対照的に、完全な平衡状態、すなわち天的な状態をプネウマが達成しているからこそ、天の形相付与者は人間の身体に理性的霊魂を与えるからです。

混和状態が均衡に近づくほど、混和物は、生命の完全性が増大することをより受け入れやすくなる。均衡が非常によく保たれ、対抗関係が釣り合いを保ち、平衡状態に解消されているならば、混和物は理性的な生命(それは天の生命に似ている)の完成に向けて準備される。このような傾向は、人間のプネウマに見出される。

 こうしてギリシア医学の枠組みに収まらない『心臓の薬』を参照することで、プネウマ論をイブン・スィーナーの流出論の上に構築された世界観と接続することが可能となるわけです。私見では、プネウマ論においても顕著な意味を持つ「物質における天体との類似性」という性質が持つ意味を、イブン・スィーナーの著作のうちに探っていくことが今後必要となると思われます。