- 作者: ジョゼフ・ニーダム,橋本敬造
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 1974/01
- メディア: 単行本
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- ジョゼフ・ニーダム「中国科学の世界への影響」『文明の滴定 科学技術と中国の社会』橋本敬造訳、法政大学出版局、1974年、55–130ページ。
中国の科学技術史を研究する著名な歴史家が書いた論考を読みました。中国の先進性が提起するいくつかのパラドックスが考察されています。中国文明が産み出した科学技術上の成果を考察するときに、第一に思い浮かぶのは西洋に先んじて考案され、それが西洋に伝わることで巨大な社会変革を引き起こした一連の技術です。たとえば馬具、鋼鉄技術、火薬、機械式時計の発明です。しかし同時に西洋に伝わらなかったか、伝わったかどうかが確かでないような成果も考察の対象に含めねばなりません。
あらゆる科学ないし技術上の活動はヨーロッパ文化圏の進歩に貢献すべきであったと要求することは、実際不合理なことである。わたしはそう主張したい。また、それが近代の普遍科学にたいする建築材料を構成したということを示す必要さえもない。科学史は、ひとつづきの影響の連鎖によってのみ書かれるべきではない。影響を受けたり与えたりしたとしても、どのような努力であってもその位置を見いだしうるような、全世界の人類の自然についての思想と知識の歴史というものはないであろうか。(63ページ)
このような視点から中国の科学技術上の成果を考察すると、いくつかのパラドックスに出会います。第一に、中国文明が産み出した目覚しい革新にもかかわらず、中国には科学技術は存在しなかったと当の中国人すらときに信じていることです。たしかにガリレオにはじまる数学と実験の結合の伝統は中国にはありませんでした。しかしそれは現代科学の欠如であり、全体としての科学の欠如ではありません。
これと関連して中国には技術はあったものの科学はなかったという誤解があります。なるほど仮説の数学化をともなう科学理論は存在しませんでした。しかし数々の技術革新は、中国に独自の理論の上に起こったものでした。たとえば火薬の発明は、長寿(や不老不死)を目指す道家の錬金術探求の過程で見いだされました。地磁気の発見(羅針盤につながる)も占いや魔術に由来するものと考えられます。
最大のパラドックスは、中国に由来する発明発見が西洋の社会構造の大規模な変化の引き金になったにもかかわらず、当の中国自体はそれらの発明発見によって大きく変化することがなかったというものです。この対比は社会の安定性の違いから来るものと理解できます。不安定なヨーロッパと安定した中国について、ニーダムは言います。
ヨーロッパの不安定性は何に起因するものであったのか。(中略)それは結果として多島海的であったヨーロッパの地理、海上交易と陸上の小地域を統治する競合的な軍事的貴族に基礎をおいた独立都市国家の永続的伝統、ヨーロッパに貴金属が異常に貧弱なこと、ヨーロッパ人の生産できなかった物産(とくに絹、綿花、香辛料、茶、陶器、漆器が考えられる)にたいするたえざる欲望、および遠心的(エクセントリック)な方言や未開人の言語をもった、多数の敵対する国家の成長を許した、アルファベット文字固有の分析的な諸傾向であった。それとは対照的に、中国は一貫した農業用地の塊まりであり、紀元前3世紀から近代まで他の地域に類をみない行政の伝統をもつ統一帝国であって、鉱物や植物や動物が無尽蔵に賦与されており、さらに基本的に単音節の言語に見事に適合した強固な象形文字によって一つに結合されていたのである。(129–130ページ)
このため中国では新たな発明発見は比較的安定した管理のもとで活用される一方、西洋では同じ発見発明が封建制の成立・崩壊や大航海時代以降の周知の拡大をもたらすことになったのです。このような文明の性質における対照点にこそ「機が熟したときのヨーロッパの特殊な創造性の秘密のいくらかが横たわっている、と言うのが適当であろう」(130ページ)。
メモ
おそらく文明は、種類の異なる生物と同じように、時間の長さのひじょうに異なる生長周期をもち、文明が変態をとげる場合は、生物と異なる周期で変態をとげるのであろう。(129ページ)[文明の生物モデル]