ルクレティウスにおける原子の集合論とその射程 Tutrone, "Between Atoms and Humours"

Blood, Sweat and Tears -: The Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe (Intersections Interdisciplinary Studies in Early Modern Culture)

Blood, Sweat and Tears -: The Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe (Intersections Interdisciplinary Studies in Early Modern Culture)

  • Fabio Tutrone, "Between Atoms and Humours: Lucretius' Didactic Poetry as a Model of Integrated and Bifocal Physiology," in Blood, Sweat and Tears: The Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe, ed. Manfred Horstmanshoff, Helen King and Claus Zittel (Leiden: Brill, 2012), 83–102.

 ルクレティウスの詩に見られる特性が、彼の作品が受容される仕方にいかに影響したかを探った論文です。ルクレティウスの『事物の本性について』はエピクロス哲学を教える教訓詩です。そのためそこでは自然現象は空虚中を動く諸原子の集合と離散に還元されます。しかし彼の詩のなかには、究極の粒子が集合してできた粒子群を一つの基本的な単位と見て、それにより生命に関する事象を説明する箇所があります。たとえば命の保持や人間の性格の決定は、熱、風、空気、そして名前のない第四の原理の混じり合いによって生じるとされます。ここで見られる性格分類や、動物が見る夢の種類の分類の記述には、エピクロスの哲学というよりむしろアリストテレスが『動物誌』で行っているような分類学的な関心が影響していると思われます。このような機械論と生命論の両面に意識を向けているルクレティウスの哲学は、粒子論と質の理論を調和させようとする初期近代の哲学者たちにとって重要な理論的資源となりました。ルクレティウスに傾倒していたジョルダーノ・ブルーノが生きている原子の理論を提唱したのは偶然ではありません。またアリストテレス主義者のなかには、ルクレティウスが想定するいわゆるセカンド・オーダーの原子群を、アリストテレスの四元素と結びつけることで、粒子論をアリストテレス主義の敵対者としてではなく、むしろアリストテレス主義を豊かにするものと考える者が現れました。
 古代哲学を専攻する著者はフランスやイタリアの諸研究を幅広く参照することで、初期近代研究者が見逃しがちなルクレティウスの側面をハイライトしてくれています。ここで論じられているセカンド・オーダーの原子集合の観念が、初期近代における原子論の発展に際し活用されたことは疑いえないように思います。しかし古典学者であるため、この観念と初期近代の理論を結びつける回路のつくり方が適切ではありません。ルクレティウスの原子集合のモデルとつなげて考えられるべきは、たとえばダニエル・ゼンネルトによる第一集塊(primary mixture)の理論です。ここに着目することで、近年のヒストリオグラフィでは化学哲学やアリストテレス主義の観点から論じられているゼンネルトからロバート・ボイルにいたるラインに、古典的原子論の再解釈という意味付けをも与える可能性がひらかれるわけです。