中世解剖学における役割分担 『医学と芸術』
医学と芸術:生命と愛の未来を探る―ダ・ヴィンチ、応挙、デミアン・ハースト
- 作者: 森美術館
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2009/12/01
- メディア: 大型本
- 購入: 4人 クリック: 76回
- この商品を含むブログ (16件) を見る
土曜日の夜は2009年に森美術館でひらかれていた「医学と芸術展」のカタログをながめて過ごしていました。きれいに複製された図版のなかでも目をひいたのは次の一枚です。
1495年にヴェネツィアで出版された本にある挿絵です(こちらからとりました)。これは何を意味するのでしょうか。最良の解説はアンドレアス・ヴェサリウスが『人体の構造について』(バーゼル、1543年)で与えてくれています。
これらに加えて、[解剖の]遂行がすべて理髪師にまかされてしまったため、内臓についての正しい認識が医師たちのあいだで死に絶えたばかりでなく、熱心に解剖を行うということすっかりなくなってしまった。それというのも、一方では医師たちが切除にたずさわることなく、他方ではその腕に[解剖という]技術が委ねられた人々[理髪師]は無学であるため、解剖の専門家たちが書いたものを理解することができないからである。自分たちの腕へと伝えられた極めて難解な技芸を、この種の人々が私たちのために保存することは不可能である。またこのような治療の部門での嘆くべき役割の分化が、忌まわしいならわしを学校へともたらしている。そのならわしとは、人間の身体を解剖を遂行するのを常とする人々と、人体の諸部分についての記述することを常とする人々とが別々になっていることだ。後者の人々は自分ではたずさわったことがない事柄を、他人が書いた書物から記憶したり、記録した用紙を目の前においたりして、高くしつらえられた椅子からおおいに尊大な態度でカラスよろしくがなりたてる。他方、前者の人々は言語に無知であるため、解剖したものを見ている人々に説明することができなく、医師の指示にしたがって見せるべきものを引きちぎってくるのだ。その医師はといえばその腕を解剖に用いたことは一度としてなく、註解書を見ながら傲岸不遜にも[解剖学講義を司る]水夫役を演じているのだ。(こちらのラテン語から訳出)
上の挿絵に体現されているような「いまわしいならわし」と決別した自らの講義の有様をヴェサリウスは次のように図像化しました(こちら)。科学史上最も有名な図版の一つです。中央で死体に手をおいているのが誰かは解説するまでもないでしょう。