初期近代の医学史 Siraisi, "Medicine, 1450–1620, and the History of Science"

 ナンシー・シライシが2010年のアメリ科学史学会で行った講演が科学史の専門誌Isisの最新号に掲載されました。初期近代史における医学史と科学史の関係を考察しています。実質的に現在の初期近代西洋医学史研究の動向の通覧になっていますので、科学史にたずさわる者は本稿に付された注を熟読せねばなりません。

 医学は人間の身体を治療し薬剤を取り扱うという自然世界との強い関連性を有する学問分野でした。したがって1450年から1620年のあいだに、医学教育を受けたり医療行為を行っていた人々が、自然知識に関わるさまざまな局面に関与していたとしても不思議ではありません。同時に医学はその内容や携わる人々の社会階層の点で多様であり、単一の医学的伝統としてくくれない性格を持ちます。1450年から1620年のあいだには、この多様性をはらむ医学が、同時代に起きていた知的変動に呼応しながら変化していったのをみてとることができます。

 医学者が予備的な哲学教育を受けることを義務付けられていたため、ルネサンスに入り哲学学説の選択肢が多様化すると医学も変質します。ガレノスの校訂・翻訳は、彼の権威をさらに高めると同時に、その学説への批判の土台をも準備しました。フィレンツェの新プラトン主義の影響下にあったフェルネルはガレノスの病因論を批判します。アリストテレスの動物論への関心の高まりは自然誌についての百科全書的諸著作を生み出しました。

 経験や観察への関心の高まりは医学において顕著に見られます。人間や動物の解剖が盛んに行われ、個々の患者の症例観察集が編まれるようになります。また体重や体の熱の変化を測る器具が考案されました。しかしこれらの動向に従うことで医学者たちがテキストへの依拠を放棄したわけではありません。古代や同時代に書かれ印刷術によって拡散していた書物からの情報は、彼らの解剖や症例解釈に必要不可欠でした。医学の実践は錬金術と自然誌と深いつながりを持っていました。特に薬剤の調達のために自然誌の知識は必須であり、この自然誌の領域こそ教授職の創設、植物園の解説、そして何よりも新大陸からの新たな素材の流入により活況を呈していました。ここにおいて物資の交換という商業の領域と医学が交差することになります。

 医学の世界は大学で教育を受けた医学者を頂点に、薬剤師やそれこそ詐欺師のような医療実践家にまで至る階層構造を築きあげていました。しかしこれらの階層間の壁は越境不可能なものではありませんでした。アグリコラのように古典医学の領域から鉱山活動への参与に移行する人物が存在します。医学者たちは書物だけでなく、頻繁に移動を繰り返すことでコミュニティを形成していました。この移動は欧州内に限られていたわけでなく、新大陸や極東にまで伸びています。こうして欧州内や世界各地で得られた情報は、とりわけ書簡を通じて流通することになります。このような書簡を集めて出版するということも行われました。

 多様性を持つ医学がおのれをとりまく多様な状況に反応していっているこれらの局面のうちに、科学史のうちで医学史が占める位置というのもあると著者はしています。