メランヒトンのガレノス利用 Helm, "Die Galenrezeption in Philipp Melanchthons De anima"

 フィリップ・メランヒトンの『霊魂についての注解 Commentarius de anima』(1540年)と『霊魂論 Liber de anima』(1552年)におけるガレノス利用を調べた論考である。これらの書物のなかでメランヒトンはガレノスを多用している。彼は1525年にヴェネツィアのアルドゥス書店が出したガレノスのギリシア語版全集を利用していた。『注解』におけるガレノス利用をみると、アルドゥス版全五巻のなかから幅広くメランヒトンが素材をとってきていることが分かる。彼はいかにしてガレノスに関してこれほど深い知識を身につけたのか。彼は1533年と34年にそれぞれヨアキム・カメラリウスとレオンハルト・フックスに書簡をだし、自分が計画中の著作のために、関連するガレノスの箇所を集めてくれるように依頼している。このような協力を活用しながらメランヒトンはガレノスの膨大なコーパスへの理解を深めていったと思われる。

 『霊魂についての注解』でガレノスは解剖学のほぼ唯一の権威として登場する。同書のうちで解剖学は神へ至る道筋の一つとして理解されていた。メランヒトンによれば人間は霊魂の本質そのものを知ることはできない[ここに強い力点を置く点で彼はルターに従っていると思われる]。霊魂が引き起こす活動を観察することだけがでる。その観察により、人間は世界が一人の理性的な創造者、つまりは神の手によってつくられ維持されていることを知る。霊魂の本質が不可知であるがゆえに、解剖による観察を通じて神に至るというわけだ。このプロジェクトにとってガレノスの解剖記述は貴重なソースとなっていた。またガレノス本人が解剖によって観察される生体の機能から、神の存在をうかがうことができると論じていることも、メランヒトンにガレノスを利用させる理由となっていた。

 12年後に『霊魂論』が出される。この間に解剖学の領域で重要な著作があらわれていた。ヴェサリウスの『ファブリカ』(1543年)である。この書物はガレノスの解剖所見にある数多くの誤りを暴きだしていた。この本の出現に対してメランヒトンはいかに応じたのか。『霊魂論』を『注解』と比較すると、ガレノスへの明示的な言及が減少していることが分かる。記述は同じでもガレノスの名前は削られていることがあるのだ。また従来ガレノスに従っていた箇所に関して、ヴェサリウスの発見を受けて訂正をほどこしてある箇所がある。ただしそこではガレノスが近年の著者によって訂正されたというような書き方はなされていない。また解剖学から神へという考えがガレノスをもって正当化されているという構図は維持されている。さらにはガレノスのスピリトゥスの理論を、キリスト教におけるスピリトゥス(聖霊)と結び付ける記述があらわれており、ここではガレノスとキリスト教信仰の結びつきは強化されている。なるほど『ファブリカ』の出現によってガレノスの権威は減少した。だがそれはなくなったわけではない。むしろ解剖学における権威がガレノスとヴェサリウスの二本立てとなったと考えた方がいい。メランヒトンはこれらの権威が実は衝突していることを強調しはしなかった。むしろ彼らの双方を活用して、引き続き解剖学の知見が神へと至る道であるということを強調することを選んだのであった。