- 作者: Manfred Horstmanshoff,Helen King,Claus Zittel
- 出版社/メーカー: Brill Academic Pub
- 発売日: 2012/06/01
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- Michael R. McVaugh, "Losing Ground: The Disappearance of Attraction from the Kidneys," in Blood, Sweat and Tears: The Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe, ed. Manfred Horstmanshoff, Helen King and Claus Zittel (Leiden: Brill, 2012), 103–35.
腎臓がどのように尿を生成するかが歴史的にどう考えられてきたかを論じる論文を読みました。著者は著名な医学史です。どうやら当初は医学研究者として出発したらしく、1963年に出版した最初の論文は、まさに腎臓で尿が生成されるプロセスを論じたものになっています。
腎臓は血液を取りこみ、血液から尿を生成し、その尿を排出します。この3つのプロセスの存在はすでにアリストテレスが認知していました。ガレノスは3つのうち、最初の2つはメカニカルなプロセスでは生じないとみなしました。メカニカルというのは、たとえばふるいにかけるようにして血液から尿の部分を取り出すことで、尿を生成するというような説明方式のことです。ガレノスは、この尿の抜き出しのプロセスには、尿とすべき部分だけをひきつける特殊な力が必要であると論じました。
この見解は基本的には17世紀まで維持されていました。とは言え解剖学の進展により、次第に腎臓が尿を生成している可能性がある箇所が狭められていきます。特に17世紀中頃には、腎臓には腺のような器官が大量に集合しており、この腺の一つ一つが尿の生成を担うと考えられるようになりました(リオランジュニア)。マルピーギはこの知見と彼自身の解剖学上の成果の上にたって、尿の生成に特殊な力というのは必要はなく、何らかのメカニカルな過程により分離が起きているのだと考えるようになりました。腎臓の機能も機械論に回収されたというわけです。
しかし当時にもやはりガレノスが考えたように、尿の生成を機械的な仕組みに帰すことはできず、それには何らかの特殊な力が必要でないかとみなしていた人々はいました。現在では尿の生成というのは腎臓内で起こる制御機構によって起こるとされ、それはケミカルな反応であり、ここから翻って考えてみると、ガレノスは結果的にマルピーギより鋭い直観を有していたのではないかと結論されます。ちなみに著者が最初に書いた論文はまさにこの制御機構でどのようなケミカルな反応が起きているかを調べるものでした。