日本の近代化における土着知の「翻訳」 Morris-Suzuki, "The Great Translation"

  • Tessa Morris-Suzuki, "The Great Translation: Traditional and Modern Science in Japan's Industrialisation," Historia scientiarum 5 (1995): 103–116.

 先日とある研究会でコメンテーターをつとめておられた方が、近代日本の技術史を理解する上での基本論文として紹介されていたものです。明治以降に日本が産業国家として成功した理由として、江戸時代にすでにあった前産業化段階の技術が、その後の西洋からの新たな技術移植を可能とする土壌となったことがしばしばあげられます。これは「テクノロジーの伝達 transfer of technology」モデルに依拠した理解です。そこではテクノロジーがどう移動し、移動先の新たな環境でどう適応させられるかが問われます。しかしこのモデルでは、移動先にあった伝統的テクノロジーがいかに変容したかを問うことができません。たかだかそれを新技術受入の前提条件とみなすことができるだけです。日本の近代化には、この土着知の変容・再解釈(「大いなる翻訳 the great translation」)が貢献したというのに。

 江戸時代の前産業化社会では技術の伝達は当初家族や組合の内部で閉じていました。しかし識字率の向上と印刷された著作の広まり、各藩の殖産興業政策、シルクや酒といった商品の地方生産の拡大により、技術知は広まり、それへの関心が高まります。技術の改良やそのための実験が行われ、関連する事物の分類に精力が注がれます。ただし分類は西洋のようにその構成要素から出発する分析的なものではなく、むしろある事物が全体として持つ性質によるものでした。

 このような土着的テクノロジーに、明治期以降西洋科学が適用されます。大学のお雇い外国人、中央政府醸造試験所)、地方政府が伝統的技術を分析し、そこで行われていることに現代科学に立脚した説明を与えることをはじめました。この過程には各地の同業組合や工業学校が参与しています。

 科学による土着技術の急速な再解釈は、徳川時代の遺産があったからこそ可能でした。地域ごとに高度の専門性を有する工業を抱えており、それらの地域が互いにライバル意識を持ち競争していたからです。もちろん新たな知の枠組みで伝統知を再解釈し、産業化に踏み出せるかは地域ごとに違いました。一般的に、江戸時代の後期に事業をスタートさせた新規参入グループの方が、長い伝統を持つ事業者よりうまく科学に基づく産業化についていくことができました。前者のグループは後者からの支配から逃れるために新たなテクノロジーという武器を用いたのです。

 土着のテクノロジーの再解釈は日本の産業化に大きく寄与しました。それは日本がその発展を国内への投資に依存する度合いが大きかったからです。この発展パターンゆえ、地域の中小規模の事業が拡張することになりました。土着の知が現代科学に翻訳される過程は、その地域での産業化のパターンを知る上で重要な指標となり得るのです。