普遍主義から現実主義へ エヴァンズ『魔術の帝国』#1

魔術の帝国―ルドルフ二世とその世界〈上〉 (ちくま学芸文庫)

魔術の帝国―ルドルフ二世とその世界〈上〉 (ちくま学芸文庫)

  • ロバート・J・W・エヴァンズ『魔術の帝国 ルドルフ二世とその世界』中野春夫訳、上巻、筑摩書房、2006年、25–100ページ。

 16世紀後半から、17世紀初頭にかけてのプラハを首都にする神聖ローマ帝国のインテレクチュアル・ヒストリーを描きだそうとした古典的著作である。序文と第1章では著者のこの時代にたいする大きな見通しがしめされる。この時代の研究はこれまで後に起こる三十年戦争から逆算されるかたちで記述されてきた。三十年前史として、1555年の宗教和議が残した問題、宗派の出現、対立が支配する世界のなかでの退廃的な支配者たちを語るのである。しかしこのような記述はドイツに検討の範囲を限定しすぎているし、限定的な三十年戦争理解をもとにその要因を過去に遡ろうとしている。

 近年の研究はより視野を広くとり、三十年戦争をドイツにかぎらず、全ヨーロッパ的な異なる2つの社会経済体制の衝突の帰結としてとらえようつする。振興のブルジョワ層と、新封建君主たちの対立である。これにより、これまで視野に入ってこなかった当時の文化的状況が検討されるようになってきた。しかしなお、1555年(アウグスブルクの和議)から1618年(窓外放擲事件)までの「40年間がもつ真の性格を模索しようとする態度」(42ページ)がこれまでの研究には欠けている。これを記述するのが本研究の目的となる。

 著者の大きな図式は次のようなものだ。この時代の深層を流れる思考形態には2つあり、一方が他方に1600年前後の数年間で支配的地位を譲った。当初支配的であったのは、普遍主義である。キリスト教世界の一体性を実現し、宗教分裂を防ごうとする。これを支えたのが後期人文主義コスモポリタンな連帯であり、哲学者たちが提示した世界を有機的統一体とみなす思想(ギヨーム・ポステル、フランチェスコ・パトリッツィ、ジョルダーノ・ブルーノ、トマゾ・カンパネッラ)であり、ハプスブルクの統治にこめられた様々な意匠の帝国理念であった。マキャベリの政治理論もこの理念のうちに溶かし込まれた。しかし宗教対立が激化し緊張が高まるなか、理念的普遍主義は政治的現実主義にとってかわられていく。穏健な協調主義は、域内での絶対的権力の貫徹を重視する思想(後の絶対主義)を志向するものへと変わっていく。普遍理念による裏付けを抜きにマキャベリの教えが実践される。代わりに民族のアイデンティティが領域主権の基礎となる。統一を志向する有機的世界観(著者はこれを魔術的と呼ぶ)にかわり、経験主義的科学が台頭する。ルドルフ治世の時代はまさに中央ヨーロッパを舞台に、この相対的位置関係を政治状況においても、知的状況においても変えていく期間なのである。