応用科学の三つの起源 Bud, ""Applied Science""

 Isisの最新号は「応用科学」という特集を組んでいます。そのなかから応用科学という用語の起源を探る論文を読みました。応用科学(applied science)という英語を最初に用いたのは、サミュエル・テイラー・コールリッジで、1817年のことでした。彼はこの単語をドイツ語の "angewandte Wissenschaft"から引き出しています。ドイツ語圏でこの種の術語を用いていた人々はカント主義の推進者たちでした。アプリオリな原理に依拠する純粋学問(reine Wissenschaft)と、経験的に獲得される応用理性認識(angewandte Vernunfterkenntnis; 訳語自信なし)というカントの区別が彼らの基礎にあります。ゲッティンゲンで学んだコールリッジはこの区別をイギリスに持ち込み、それが彼が当初企画していた『メトロポリタン百科事典』の分類区分に反映されます。「応用科学はそれがよって立つ事実を実験から引き出す。しかしその主要な有用性が依拠するところの推論は抽象科学と言われるものの領域なのである」とは、この事典項目中でのチャールズ・バベッジの言葉です。『メトロポリタン百科事典』の二代目編集者であるH. J. Roseは、新設のロンドン大学キングズ・カレッジの学長であり、この大学ははじめて応用科学の名を関する学部を備えていました。この学部新設は科学の応用を促進する目的を持つと同時に、保守主義トーリー党支持者が社会的カオスを生み出しながら進展する産業化を前にして打ち出した施策でもありました。科学という原理に基礎づけられた応用科学という観点を打ち出すことで、産業社会を安定的なものとしようという意図があったのです。

 応用科学という言葉とともに、実用科学(practical science)という言葉もまた使われていました。これには哲学的ニュアンスはなく、発明品の製作とよく結び付けられた純粋に実用的・実践的知識という意味を持ちました。それとともにフランス由来の「技芸に応用された科学 science applied to the arts/ science appliquée aux arts」という用語も用いられていました。ナポレオン後に再建されたフランスの教育システムでは、イギリスの産業化に接した衝撃から、科学の技術への応用を視野に入れた組織の整備が行われていました(CNAM)。

 「応用科学」「実用科学」「技芸に応用された科学」の三つが融合し、応用科学に一本化されはじめるのは1850年代以後のことです。この頃の政治情勢がリヨン・プレイフェアというテクノクラートに大規模な教育改革をなしとげることを可能にします。結果各地の大学に応用科学を教えるための学部が新設されました。これにより応用科学が工学の中核にあるという認識が広まりました。

 19世紀前半、応用科学というのは今私たちが想定するような一つのカテゴリーとして確立していたのではありません。それは百科事典や教育システムを通じて広められねばならない生成途中の分野でした。「応用科学」がカントに由来する起源を持つことは、それが「純粋科学」より低い地位を享受することになることにつながります。また「実用科学」や「技芸への応用された科学」という用語を起源に持つことは、それが工学というプロフェッションを特徴付けるようになることに貢献しています。