視覚と暗室 Vanagt, "Early Modern Medical Thinking on Vision and the Camera Obscura"

Blood, Sweat and Tears -: The Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe (Intersections Interdisciplinary Studies in Early Modern Culture)

Blood, Sweat and Tears -: The Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe (Intersections Interdisciplinary Studies in Early Modern Culture)

  • Katrien Vanagt, "Early Modern Medical Thinking on Vision and the Camera Obscura: V.F. Plempius’ Ophthalmographia, " in Blood, Sweat and Tears: The Changing Concepts of Physiology from Antiquity into Early Modern Europe, ed. Manfred Horstmanshoff, Helen King and Claus Zittel (Leiden: Brill, 2012), 569–93.

 暗室の登場と視覚理論の関係を論じる論文です。古代以来、視覚の仕組みは多く分けて二通りに説明されてきました。一つはみられる対象から何かが飛んできて、それを目が受容することでモノを見るというものです(アリストテレス)。もうひとつは目から何かが対象へと飛んでいくことで視覚が成立するというものです(プラトン、ガレノス;ガレノスについては一つ前の記事を参照)。一般的に初期近代の視覚理論はガレノスに支配されていたといわれています(リンドバーグ)。しかし各論者の立論を仔細に検討すれば、彼らがガレノスとアリストテレスを調停しようとしており、そのために独自のガレノス、ないしはアリストテレス解釈を提唱していたことがわかります。ことはそう単純ではないのです。視覚をどう説明するかは医学的にも哲学的にも意見の一致をみていませんでした。

 Vopiscus Fortunatus Plempiusは1648年に出版した書物のなかで、目の構造を暗室(カメラ・オブスキュラ)の構造と同一視することで視覚を説明しようとしました。暗室という自然魔術の領域からひいてきた新奇な道具立てにより長年の問題を解決しようという試みでした。彼は本のなかで暗室の作り方を丁寧に解説し、読者にも制作・実験を行うことをすすめています。暗室の壁に外部のイメージが映しだされるという成果を読者が自分でつくりだしてはじめて、そのメカニズムはいかなる特殊な力も隠された力も関与しておらず、単純な構造的なしくみによって成り立っていることが理解されると彼は考えていました。もっぱら構造に規定された暗室と目が同じであるとすることで、Plempiusは視覚像の形成には身体や精気からの干渉はなく、眼の構造のみで像の生成は説明できると論じることができました。構造だけから視覚を説明できるという彼のモチーフは、死んだ牛の目をしかるべき手順に従ってくり抜けば、網膜に像が映っていることを確認できるという彼の解剖に基づく議論にもあらわれています。ポイントは牛が死んでいることであり、これによりたとえば精気の循環の関与抜きに、像が成立していることが証明されるというわけです。Plempiusの他にも視覚メカニズムを暗室になぞらえて説明しようとした人はいました。しかし構造以外の要因を排除しようとする動機のもとに暗室が使うことで、彼は暗室と視覚の関係に新しい意味を与えたのです。