神のヒエログリフを写しとる コンラート・ゲスナーと図像 Kusukawa, Picturing the Book of Nature, ch. 8

Picturing the Book of Nature: Image, Text, and Argument in Sixteenth-Century Human Anatomy and Medical Botany

Picturing the Book of Nature: Image, Text, and Argument in Sixteenth-Century Human Anatomy and Medical Botany

  • Sachiko Kusukawa, Picturing the Book of Nature: Image, Text, and Argument in Sixteenth-Century Human Anatomy and Medical Botany (Chicago: Chicago University Press, 2012), 162–77.

 楠川『自然という書物を描く』の第8章を再読しました。コンラート・ゲスナーがいかに正確な図像表現を重視していたのか、またそれはなぜかということが論じられています。

 ディオスコリデスが『マテリア・メディカ』で述べているaconitum pardialianchesを、ゲスナーは一般的にtoraと呼ばれていた植物と同定し、toraを描いた図像を自著に掲載しました。一方ピエトロ・アンドレア・マティオリは異なる同定を行い、これまた彼がaconitumとみなすものの図像を著作にふくめています。見解の対立は論争を生みだします。ゲスナーは学識ある友人の判断や彼らから送られてきた図像を根拠に自らの同定の正当性を主張しました。マティオリの図像は空想の産物であり、もし彼が自らの正しさを主張するならそれを支持する学識者の証言を確保せねばならないとゲスナーは論じます。対してマティオリはゲスナーの図像こそ誤りであり、ゲスナーは自分の目で見たもの以外信じないという偏狭な態度におちいっていると反論しました。ゲスナーは友人に援軍をもとめたものの、多くの賛同は得られませんでした。友人のうちの一人はマティオリの図像が現実と対応していないからといって、彼の同定自体が誤りとなるわけではないと主張し、マティオリの側についてしまいます。ここには図像は説明と完全に一致していなくてはならないというゲスナーの確信が必ずしも共有されていなかったことがみてとれます。

 なぜゲスナーは図像が対象とする事物を正確に写しとっていることをこれほど重視したのでしょう。彼にとって事物の形状というのは神から自然に与えられたもので、ヒエログリフのごとく読み解かれるのを待っているものでした。ここにおいては事物の本質と事物の外観が限りなく接近しています。だからこそゲスナーは事物の外観を(その本質を指示するような仕方で)正確に写しとった図像の活用が自然研究に欠かすことはできないとみなしたのです。彼が最高度の芸術として、いまここにないものをあたかもあるかのような真実性をもって再現するものとみなしたのも、このような自然観から理解できます。