投書欄にみる議論とリテラシー 平山「大正元年の『東京朝日新聞』「思ひつぎつぎ」欄」

 大衆化・商業化以降の新聞における投書欄には消極的な評価があたえられてきました。この研究はいまでは忘れ去られたとある投書欄を読み解くことで、この評価に修正を加えようとしています。

 明治天皇の死去後、明治神宮の建設が議論されるようになると、国内では賛成派が多数をしめ、反対する新聞もほとんどないという状況になりました。これに(おそらく)不満をおぼえたのが『東京朝日新聞』の社会部次長兼調査部長であった楚人冠杉村広太郎です。そこで彼はこの問題についての議論を新設された投書欄である「思ひつぎつぎ」をつかって活性化させようとしました。彼はそこで明治天皇の誕生日であった天長節を保存すること、明治紀元節明治神宮銅像、大帝の尊号という5つの方法で明治天皇を記念すべきだという無署名記事を載せました。その4日後「牛込愛読女」と名乗る人物から投書が届きます。「神社にはゾツと致します。[明治天皇の記念を]日本のしかもほんの一部に行わはれてゐる神徒教にまかせる事はできません」。これを機に多くの神宮建設反対意見が掲載されます。賛成派も黙っていません。「神社建設に何をがなケチを付けて中止せしめようとする奴共は基督教徒だ」。これにさらに反対派が反論し、誌面は泥仕合の様相をみせはじめました。しかしそこである読者が論争に冷静さを求める投書を寄せ、編集側からの意見のトーンに自制をもとめる注意書きとあわせて、論争に一定の節度が保たれることに貢献しました。

 もう一つ興味深い事例が「桂公の為に弁ず」という記事への読者の反応です。この記事は桂太郎をほめているように見えて、実はけなしています。この記事にたいしてよくぞけなしてくれたという投書が大量に来る一方で、「麻布三原君」という人物が桂の提灯記事書くとはと嘆く投書を寄せました。これにたいして多くの読者が麻布三原君は皮肉を理解していない、「三原某の如きは恐らく外国人なるべし」といった投書を寄せます。ここにさらに「NT君」という人物があらわれ、いや裏の裏を読むんだと言いはじめます。つまり麻布三原君は皮肉をわかっていながらわかっていないふりをすることで、皮肉をわかって得意になっている読者を釣っているのだというわけです。「読者は初めより眉に唾して読まねばならぬ」。こうしてこれら投書連鎖は読者に情報に接したときにそれをどう読むかというリテラシーについて考える機会をもたらしているのです。

 「思ひつぎつぎ」欄は短期間でなくなってしまいます。しかしそこは少数者の意見をすくい上げによる議論の活性化が図られ、またリテラシーについて読者に考えさせる論点がはからずも浮上していました。運営側の工夫によりたとえ大衆化・商業化した新聞においても意義深い議論の場があらわれたのです。