聖書とモノに語らせる 長谷川『聖書考古学』#1

聖書考古学 - 遺跡が語る史実 (中公新書)

聖書考古学 - 遺跡が語る史実 (中公新書)

  • 長谷川修一『聖書考古学 遺跡が語る史実』中公新書、2013年、3–63ページ。

 歴史学の文書資料の批判の基本と、考古学の遺物・遺構(その他)の批判の基本をともに教えてくれるすばらしい新書が出されました。書物の表題でもある「聖書考古学」を著者は「聖書の歴史記述の深い理解に達するため、特に聖書の舞台となった古代パレスチナを中心とした考古学」と規定します。これを行うために必要となるのが、聖書という文字史料にも、考古学的遺物・遺構というモノにも批判的まなざしを向けることです。聖書を批判的に読むとはどういうことか。これが第1章で見事に例解されています。列王記にある「神の律法に従わなかった罰として北イスラエル王国が滅んだ」という考えは、いわゆるバビロン捕囚後のユダヤ人が自らの置かれた境遇を神からの罰として理解しようとしていたことの反映だと考えられます。とすると列王記はバビロン捕囚後に書かれたことになります。しかし列王記をさらに仔細に見るなら、そこにはバビロン捕囚以前のヨシア王の行動(エルサレム以外の各地の神殿破壊など)の正当化に腐心している箇所が見られます。とすると、すでにこの部分はバビロン捕囚以前に成立し始めており、そこにバビロン捕囚以後の歴史観を反映した記述が加わったと読み解けることになります。こうして「聖書を『人間が何らかの意図を持って書き、また編纂したもの』として批判的に扱う」ことで、その歴史記述を読み解けるわけです。

 本書のもうひとつの軸となるのが考古学です。この箇所、私の基礎知識が欠如していることもあってほんとうにおもしろい。驚きの文章が連続します。「遺物と遺構の違いは、前者が『持ち運びでき』、後者は『持ち運びできない』点にある」。「発掘というのは、実は破壊作業に他ならない。一度掘ってしまったらまったく同じ状態に戻すことができないのだ。そこで記録は重要になる」。「部屋には普通、床がある」(!?)。こういう考古学の基礎から丁寧に解説してくれています。この他にもなぜ古代西アジアの集落が丘状の場所にあるのか、とか、年代決定の方法論である層位学や型式学(他にも表面採集とか)の解説、コインという遺物からどのように年代が推測しうるかの具体的説明など、普段文字史料に埋れている人間には新鮮きわまりない記述が続きます。

 まだ基礎編である第2章までしか読めていません。このあとはいよいよこの批判的方法論の両輪を用いて、実際に聖書の記述を理解する作業が開始されます。第3章の表題は「アブラハムは実在したか」。読むのがたのしみすぎる。聖書に関心を寄せる人のみならず、およそ過去を学問的に追究するという営みのあり方を知りたい人すべてにおすすめです。