Clio Meets Science (Osiris, Second Series)
- 作者: Robert E. Kohler,Kathryn M. Olesko
- 出版社/メーカー: Univ of Chicago Pr
- 発売日: 2012/10/20
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- Jan Golinski, "Is It Time to Forget Science?: Reflections on Singular Science and Its History," Osiris 27 (2012): 19–36.
科学史(history of science)はサイエンスと単数で呼ぶことのできる単一の分析対象があることを前提としています。この科学の単一性という観念は、1800年代の初頭にコントをはじめとする実証主義者たちによって提唱されました。科学は統一的な方法に基づいて普遍的な真理を発見する営みで、あらゆる知識を統一する土台となると彼らは考えました。このプロジェクトのうちで科学史も位置づけを与えられます。科学諸分野によって異なる発展の度合いを歴史的に跡づけることで、科学内部でのヒエラルキーの根拠を与える役割が歴史に与えられました。ディシプリンとしての科学史の産みの親であるジョージ・サートンもこの実証主義の思想のうえに、厳密な歴史学の手法で科学の発展の歴史を描くというプロジェクトを開始しました。こうして生まれ引き継がれた単一の科学という観念は、その後も論理実証主義者、マルクス主義者、そしてコイレのような反マルクス主義者にも継承されることになります。しかしジョゼフ・ニーダムやトマス・クーンの研究は(彼らの真の意図はどうあれ)単一の科学(的手法)という観念に疑念を抱かせました。結果として西洋外の他文化もまた異なる種類の科学を持っているのではないかとか、そもそも西洋内部の科学者個々人のあいだで調停不可能なほど科学観が異なっているのではないかとかいう疑問を裏づける歴史研究が生みだされます。これにポストモダンと呼ばれる一般的な状況の影響も加わり、科学の単数性よりも複数性を前提とする考えが支配的となります。
では科学の単一性の観念から科学史家が学ぶことは何もないのか。そうではないと著者はいいます。単一性の観念が説明しえていたがゆえに、それが機能しなくなったとたんに説明できなくなったことを科学史というディシプリンは説明せねばならないというのです。そこにこそ科学史の固有性があるとも著者はいいます。それはたとえば科学が持つ普遍性の問題です。科学が普遍的であるというのはこれまでは科学自体の性質とされ、それ自体を説明する必要はありませんでした。しかし今後は科学の普遍性は特定の実践の積み重ねによって獲得されてきたものと考えられねばなりません。この獲得のメカニズムに歴史的説明を与えることが科学史の使命となるというのです。