近代経済と近代科学 Cook, "Moving About and Finding Things Out

Clio Meets Science (Osiris, Second Series)

Clio Meets Science (Osiris, Second Series)

 本論についてはすでに大変すぐれたまとめがあります。

 なのでここでは簡単なコメントだけしたいと思います。この論考は、近代科学の出現と近代経済の発展が同時期に起こっているという事実をまず立て、それらが共通の土台(forms of social lifeと言われたりする)のうえに立脚していると論じます。市場で信用を得て容易に流通にのるような形でモノを記述するということが、理論に強くこだわらないで事象をあるがままに注意深く描こうとする新科学の姿勢と共通している。これらはどちらかが他方を生みだしたわけではなく、むしろ情報の円滑な交換に至上の価値を見いだすような共通の価値観のもとに両者が共生成した。こう言われます。

 説得力を感じません。経済史に関する記述の部分を信用するとして、本当に市場で必要とされるモノの記述方式は新科学の目指したところとかさなるのか。たしかにベイコンの提唱した自然誌プロジェクトにはかさなるかもしれません。そのため人文主義の手法の延長で理解されることの多い初期近代自然誌の営みを、商人たちの記述方法との関係で考察するのは実りあることです。しかしその記述方法が、本論考でも科学革命の到達点のような位置づけを与えられているニュートンの自然哲学とつながるとは思えません。じっさいニュートンと経済活動における価値観を結びつけようとする131ページの記述は相当無理があります。近代経済と近代科学の方法論を重ねあわせる立論は無理筋に思えるのです。

 また近代経済が主にオランダで生まれたとする本論の立場からすれば、そこで近代科学が共生成されていなければなりません。しかし低地地方は科学革命の主な震源地なのでしょうか。どう見積もっても例えばフランスやドイツに比してオランダにより大きな意味を与えることには無理があります。もちろんオランダにはベークマンがいて、彼はまさに新科学と新経済の両方にかかわっているわけです。でもだからこそベークマンに異様に大きなスペースが割かれる奇妙な論述になってしまう。ひろく拡散していた科学活動の実態とオランダでの資本主義の勃興がズレているわけです。

 どうやら当時の自然探求の実態と経済発展の実態を付きあわせて考察したというより、経済の側の実態にあわせて自然探求の実態を改変してしまっているという印象を受けます。