Heresy, Philosophy and Religion in the Medieval West (Variorum Collected Studies)
- 作者: Gordon Leff
- 出版社/メーカー: Routledge
- 発売日: 2002/07/10
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- Gordon Leff, "Heresy and the Decline of the Medieval Church," Past and Present 20 (1961): 36–51, repr. in Heresy, Philosophy and Religion in the Medieval West (Aldershot: Ashgate, 2002), article II.
13世紀後半以降、異端は勢力を拡大し教会権力は衰退します。なぜか?教会が腐敗したからという説が根強く残っているものの、これには根拠はありません。13世紀後半以降に教会が以前と比べてより堕落したとは言えないからです。まず認識せねばならないのは教会の権威に挑戦(ないしはその圏域から離脱)する宗教運動は11世紀後半から存在したということです。しかしこの時点での教会はこれらの運動をうちに取り込むことに一定程度成功していました。13世紀以降で新しいのは、この種の運動が激増し、教会が制御できなくなった点です。
このような事態にいたったことは二つの方向から説明できます。一つは教会自体の発展がこの状況を引き寄せたというものです。初期中世に唯一の霊的な権威としてその地位を確かなものとし、宗教的求心力を獲得した教会は、まさにそのことにより特権を保持することとなり、その維持のために権力を行使することになります。まるで世俗の領主のように課税業務にたずさわる教会を霊的な権威とみなせるでしょうか?また教会ヒエラルキーの発展はその上位と下位との格差を生みだし、これが前述の不満が説教を通じて拡大する要因となります。
もう一つの説明は社会の変化から与えられます。12世紀後半以降の都市の発達は、教会の排他性やその修道制になんらの共感をもたない新たなグループを生みだしました。また東方との接触はキリスト教と衝突する教えを流通させました。プロクロス、プロティノス、偽ディオニュシオスの翻訳に端を発する神秘主義は、教会の媒介抜きに神と繋がろうとする神秘主義運動の基盤となりました。大学では13世紀後半より、やはり理性と信仰が切り離されていきます。世俗国家が強力となり、教皇権はかつてのような力を行使できなくなりました。
これらの背景から新たな局面が生じたのがアルビジョア十字軍が組織されたときです。これは教会が異端を取り込むことができず、もはや武力で弾圧するしかなくなったことを意味しました。1231年に手続きが定められた異端審問は異端者を破門し、世俗の裁判官に引き渡して火刑に付すことを定めました。自律性を保てない教会による強圧的な対応はしかし、まさにそれが防ごうとしていたことを助長することになります。以後霊的な運動は常に教会の外を志向するようになるのです。こうして異端の隆盛と教会の衰退がもたらされました。
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