不動の動者 ロイド『アリストテレス』第7章

アリストテレス―その思想の成長と構造

アリストテレス―その思想の成長と構造

 第7章は「天上の世界の自然学」と題されて、月より上の世界が論じられています。ここでの不動の動者の説明が有用であったので書きとめておきます。運動変化が起きるときにはつねにそれを引き起こす動者がいます。この運動の連鎖の出発点には、不動の動者がいなくてはなりません。なぜならそれも動かされるなら、別の動者がいなくてはなりません。だから最初の動者は不動です。この不動性はもうひとつ別の筋からも立証できます。運動変化を生じさせるものはその時現実態でなくてはなりません。第一の動者はしかも常に動かし続けるのだから常に現実態になくてはなりません。このとき動者が動くとすると、それは運動変化の可能性を持っているということになり、それが常に現実態であるという要請と矛盾してしまいます。したがって第一の動者は不動と考えなくてはならない。

 この不動の動者は生きていなければなりません[生きているほうが生きているよりもよいからだと思われる]。しかし生きているとなるとそれは何らかの未決の可能性を残した状態ということになり、現実態であるという要請が満たされなくなってしまうのではないか。アリストテレスによれば永遠に現実態であることと両立する生命活動が一つだけあり、それが思惟することでした。この思惟の対象はおよそ存在するもののうちで最善のもの、すなわち自分自身ということになります。よって第一の不動の動者は永遠に自己自身を思惟し続けるという生命活動を行なっています。

 この第一の不動の動者は最外天を動かします。この時作用因として動かすのではありません。作用因としてものを動かす者は、作用を働かせるものに接触せねばなりません。しかし接触するとそこから反作用を受けてしまう。このように不動の動者が何らかの作用を受けることはアリストテレスには認めがたいことでした。そこで彼は不動の動者は作用因ではなく、目的因として最外天を動かすと考えたのです。それは愛されるものが愛されるものとして動かすように動かすのです。