アレクサンドリアのクレメンスの異教観 チャドウィク『初期キリスト教とギリシア思想』2章

  • H・チャドウィク『初期キリスト教ギリシア思想 ユスティノス、クレーメンス、オーリゲネース研究』中村坦、井谷嘉男訳、日本基督教団出版局、1983年、49–93ページ。

 第2章ではアレクサンドリアのクレメンスが扱われています。クレメンスの文体や古典作品からの数多くの引照は、彼が2世紀終わり頃の上流階級が備えていた教養を持ちあわせていたことを示しています。しかし彼は異教古代に無批判であったわけではなく、異教崇拝は悪魔の支配下にある営みであるとみなしていました。哲学はギリシアに伝わる非道徳的な神々を追放したところまではよかったものの、たとえばポセイドンを水と置き換えたとしても大きな前進があるとはいえません。異教の哲学のうちでクレメンスはストア派倫理学と、プラトンを高く評価していました。逆に懐疑派とエピクロス派には厳しい文言があびせかけられます。異教哲学が正しく聖書に合致していることを述べている場合、それは哲学者たちが神から与えられた理性を正しく行使したからとも、彼らが聖書の教えを剽窃したからともクレメンスは解釈しました。

 クレメンスはグノーシス主義者と対決していました。単なる信仰しているだけではなく、神に関する知(グノーシス、覚知)を獲得した者として自らを誇っているグノーシス主義者たちにたいして、クレメンスは洗礼と信仰だけでキリスト教徒たるに十分であると主張しました。それと同時に彼は教養のない単純な信徒たちを全面的に是認することもしませんでした。「いわゆる正統派は恐怖にかられて行動する動物のようなものである。彼らは自分が何をしているかも知らずに善行を積んでいる」(54ページ)。神について正しい認識を得ることは、霊的にはたしかに上昇であり、優れた段階に進んでいることを意味するとクレメンスは考えました。