オリゲネスによる霊的・象徴的解釈 チャドウィク『初期キリスト教とギリシア思想』第3章

  • H・チャドウィク『初期キリスト教ギリシア思想 ユスティノス、クレーメンス、オーリゲネース研究』中村坦、井谷嘉男訳、日本基督教団出版局、1983年、95–133ページ。

 第3章ではオリゲネス(184/5–253/4)がとりあげられます。クレメンスは正統多数派の教会の成員には、受けた教育の程度が低く、素朴な信仰をいだいているものが多数いることを認めていました。これと同じことをオリゲネスも認めています。しかしこの点はまさにケルソスをはじめとする異教の知識人の批判の的となっていました。キリスト教徒たちは無知な民衆を終末における裁きの存在をちらつかせることで脅していると。これにたいしてオリゲネスは、素朴な信徒に対する教えは彼らの理解力に即して行われているものであり、キリスト教の教義が真に意味するところではないと反論しました。たとえばイエスの再臨、審判のときの火、肉体の復活を素朴な信徒たちは字義通りに理解しています。けれどもこれらはより教養ある人々には、字義通りではなく霊的・象徴的な意味を持っているし、またそのように教えられなければなりません。「われわれは神について真理であることと、大衆が理解できることとの両面から教えている。けれども、教養のあるキリスト教徒は、それを異なる方法で理解するのである」(112ページ)。このような霊的・象徴的解釈をするにあたり、オリゲネスは聖書に明示的に書かれていないことであっても節度をもって思索し、教えの理論的根拠を探ることは許されると考えていました。これは聖書に明示されていないことに憶測をめぐらせようとする渇望こそ異端の出どころであるから、明示されていないことについては知らないままで満足すべきであるというエイレナイオスの神学とは対照的です。