ヘルメス・トリスメギストスの殺し方 グラフトン「新教徒 vs. 予言者」

テクストの擁護者たち: 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生 (bibliotheca hermetica 叢書)

テクストの擁護者たち: 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生 (bibliotheca hermetica 叢書)

  • アンソニー・グラフトン「新教徒 vs. 予言者 カゾボンのヘルメス批判」『テクストの擁護者たち 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生』福西亮輔訳、勁草書房、2015年、267–301ページ。

 近刊『テクストの擁護者たち』から有名な偽作暴露のエピソードをあつかった章を読む。モーセより少しくだった時代にヘルメスによって書かれ、太古のエジプトの智慧を伝えていると考えられていた書物があった。『ヘルメス文書』である。そこには受肉以前に、キリスト教の真理が記されている。この文書こそ、異教徒の予言者がキリストの到来をあらかじめ告げていたことの証拠だ。

 このような想定にたいし、『ヘルメス文書』は実際には紀元後に書かれたと暴きたてたのがイザーク・カゾボンである。カゾボンはきわめて厳格な態度で文献学に向かう学徒であった(「五時起床。ああ寝坊してしまった!」からはじまる日記の抜粋はじつに傑作で、ぜひとも味読してほしい)。その熱意は異教の著作にも向けられたものの、なんといっても初期キリスト教史への関心が際だっていた。彼ほど教父たちのギリシア語に通じている者はいなかった。同時に彼の文書への向かい方はきわめて批判的なものであった。文書の真正性をあらゆる角度から検証するのを常としていた。

 カゾボンはその晩年にカトリックチェーザレ・バロニオの『教会年代記』への反論書を著した。教皇の権威を歴史的に正当化しようとするバロニオの試みを新教の立場から否定しようとしたのである。『教会年代記』にはヘルメスがキリストを予告した予言者としてあげられている。[この主張がバロニオの教皇擁護の主張と全体としてどうつながっているかはあきらかにされていないものの、]この主張にカゾボンは批判の照準をあわせた。そこで彼は1554年に出された版で『ヘルメス文書』を入手し、入念な読書をはじめた。その記録が書物の欄外に書きこまれており、私たちはそれを現在でも大英図書館で閲覧できる。この覚え書きの分析が、著者グラフトンの論考の中核をしめる。

 覚え書きから浮かびあがるのはカゾボンの怒りである。「この人物がモーセ以前に文書を書いたならば、神はモーセではなく彼[ヘルメス]をとおして、その秘儀をあかしたことになってしまう」(277ページ)。となると聖書も初期キリスト教からくる証言も大幅に価値を減らしてしまうだろう。このようなことが許されるはずがない。

 怒りは修錬により文献学へと変容した。彼は聖書、初期キリスト教文献、ギリシア哲学文献にわたる深い学識を駆使して、『ヘルメス文書』が太古の文書でありえないことをしめしていく。語彙は後代のものでしかありえない。エジプトの言葉で書かれたといわれる文書にギリシア語の言葉遊びがあるとはどういうことか。含まれている学識は聖書からの盗用であり、聖書からでなければギリシア哲学の模倣である。

 カゾボンの主張は完全に独創的であったわけではない。『ヘルメス文書』の真正性への疑念は(おそらくは古代から)すでに存在した。しかしその学識に裏打ちされた批判は強い説得力をもち、以後は少数の例外をのぞいては『ヘルメス文書』を太古の記録とみなすものはいなくなった。

 だがカゾボンの文献学に欠落がなかったわけではない。彼は偽作からすら学ぶところがあるという認識にいたらなかった。いやそうではない。彼はその認識にときとしていたっている。しかしそれはその偽作が古代キリスト教の権威と純粋性をおかさないかぎりのことであった。ひとたび偽作が聖書の権威をそこないかねないとなると、カゾボンの文献学はその破壊のみに向けられた。だがこの欠落は,まさに彼に記念碑的な批判的文献学を実践させた動機から来ていたのである。