偽りから生まれる学問 Grafton, Forgers and Critics, ch. 1

Forgers and Critics: Creativity and Duplicity in Western Scholarship

Forgers and Critics: Creativity and Duplicity in Western Scholarship

  • Anthony Grafton, Forgers and Critics: Creativity and Duplicity in Western Scholarship (Princeton, NJ: Princeton University Press, 1990), 3–35.

 西洋文化における文書偽造の伝統を扱う基本書である。著者は文書偽造を断罪しない。むしろその反対のテーゼを提出してみせる。人を欺こうとする偽造者の努力と、偽造を暴こうとする者の努力が合わせ鏡のように協調することこそが、文書の歴史性への感覚を研ぎ澄ませていったというのだ。この意味で文書偽造がなければ西洋の人文学はなかったとすらいえる。

 第1章で著者は文書偽造の歴史を概観している。自分が作成した文書を自分以外の著者に帰して読者を欺こうとする営みは、文書が権威を持つようになったと同時に行なわれはじめたと考えられる。だが文書偽造者と偽造を暴き立てようとする批評家(critics)のつばぜり合いが最初に大規模におこったのは、紀元前4世紀のギリシア語圏でのことであった。これには様々な要因がある。たとえばこのころ文体の見本となるような幾人かの著述家の権威が確立した。そのためこれら著述家の作品が強く求められるようになる。とりわけ新たに設立された図書館は高額を出資して、それら著述家の作品を収集した。なにが起こるか。そういう作品を自分で生みだし、高く売り抜けようとする者があらわれるのである。もちろん図書館も無防備に贋作をつかまされはしない。当代随一の学者たちが偽作を見抜く基準を発展させていく(たとえば文体が重要な基準となる)。彼らは真作と偽作のリストをつくっていく。また同じ時期に様々な哲学学派なり、宗教集団なりが、互いに勢力拡大を目指して競い合うこととなった。ここから、これらの集団が自派の権威を高めるために、古くから伝わるとされる文書を作成した。キリスト教内部では、論争に決着をつけるために使徒パウロの名前を冠した文書を生みだすことがしばしば行われた(このうちのいくつかは新約聖書パウロ書簡として収められている)。

 文書偽造者が使う一つの常套手段があった。アクセスがきわめて困難な場所から、たまたま見つかった文書がある。この文書はギリシア語以外の文書で書かれていた。これがギリシア語に訳された。それを私はここで伝えよう。このようなレトリックである。著者によれば、古代のギリシア人というのは現代のアメリカ人のようなもので、ギリシア語圏の外にでると意思疎通のためにギリシア語を大きな声で話すのを常としていた。それだけ彼らはギリシア語以外ができない。だから他言語から訳されたというレトリックは偽作の事実を覆い隠すのに有効であった。だがギリシア人もさるもの。騙されっぱなしではいない。たとえ元の言語ができずとも偽作を見抜く手段を考案した。たとえばその文書のうちでギリシア語の言葉遊びがなされていればどうだろうか。とすればそれが翻訳であるという話の信憑性はきわめて疑わしくなるというわけだ。

 中世にはいってからも文書偽造は行なわれ続けた。新しく出現した国家はその正統性を主張するため、その輝かしい過去を物語る文書を生みだした。だが中世以降に特徴的な偽造文書は法律文書である。領土やなんらかの特権を個人なり組織なりが有していることを証しだてる文書が山のように製造された。最も有名なのが『コンスタンティヌスの寄進状』だ。教皇に病を治癒してもらったことに感謝したコンスタンティヌス皇帝が、西ヨーロッパの全土を教会に寄進したことを伝える文書である(冒頭の図版参照)。

 ルネサンスに入ると文学作品の偽造が再び盛んになる。人文主義者たちは大量の文書を再発見し、筆写し、注釈をつけ、流通させはじめた。古代世界が知識人のあいだで巨大な関心事となった。だがそれは同時に古代にまつわる証拠が次々と捏造されていくことも意味した。人文主義者の多くは政治的必要性から偽造を行ったのではない。むしろ彼らは古代に対して自らが持つノスタルジアを、現実の古代以上に満たしてくれるものとして、偽作を行った。古代に由来する碑文を発見していたそのまさに同じ場所で、人文主義者たちは自分で碑文を彫っていたのだ。

 言語に対する鋭敏な感覚を身につけた人文主義者たちは、もちろん偽作を見抜く実力も兼ね備えていた。ロレンツォ・ヴァッラは『コンスタンティヌスの寄進状』が含む事実誤認と言葉遣いから、それが中世由来の文書であることを暴き立てた。スペインのある法律家は真性の碑文と偽造されたものを見分けるための手引書を出版した。古代哲学者アリストテレスや医学者ガレノスの著作のうちで、これまで真性と思われていたものののいくつかが偽作の疑いをかけられた。と同時に「新たな」ガレノスの作品がルネサンスには生みだされていた。つまるところ、ルネサンスとは文書偽造とその批判が手と手をとりあって長足の進歩をとげた時代であった。

 17、18、19世紀にも文書偽造とそれへの批判は続く。特に新たな国民国家において、その太古の歴史を確保するため、ギリシア語・ラテン語ではない言語(たとえばエトルリア語)で書かれた文書を「発掘」することが行なわれた。

 1950年にプリンストン大学の教員は、マタイ福音書のある箇所に続くギリシア語の文章がモロッコのモスクにあった写本に挟まっていたとする論文を発表した。マタイ福音書には、イエスが神に罰せられた偽善者たちが「歯ぎしりするだろう」と述べる箇所がある。新たに発見された文章ではそれに続いてイエスの弟子が、「歯がない人はどうするんですか?」と聞く。それにイエスは「そういう人には歯が与えられるだろう」と答えたのだった。

 この2500年間、いやひょっとするともっと長いあいだ文書の偽造は行われ続けてきた。文書があるところには偽造があり、偽造があるところには批判者がいた。この終わることのない闘争を養分に西洋の学識文化は成長してきたのである。証拠を捏造する二枚舌に必要な学識と真摯な学問探究に必要なそれは限りなく重なりあっている。

図像出典

wikipedia commonsより(こちら)。