日本科学史学会第60回年会参加記

 土曜日から日曜日にかけて日本科学史学会の年会に参加してきました。ここではいくつかの一般発表について少しメモを残しておこうと思います。

 今井正浩「クリュシッポスと初期アレクサンドリアの医学者たち 人体の中枢器官をめぐる論争史の一端」は、クリュシッポスの心臓中心主義がプラクサゴラスという医学者を根拠としている一方で、有機体として動物が行う自律的運動を魂にではなく自然(フュシス)に帰している点でヘロピロスの人体モデルに依拠していると論じるものでした。この自然概念の構成はガレノスにも近いようにも思えますし、のちのアヴィセンナによる植物は生命を持たないという学説との関係が気になります。いずれにしても、自然というのは明らかに思考を欠く一方で高度な活動を行うことは経験的に明らかという難問を突きつける概念であり、それがヘレニズムから紀元後2世紀くらいまで焦点化していたという印象を受けます。そのような難問に医学史の方から迫る論考で興奮しました。発表者の方ともうすこし議論がしたかったのですけどできず残念。

 柴田和宏「フランシス・ベイコン『古人の知恵について』に見る長命論」は、ベーコンのプロメテウス神話論をそのソースであるナタリー・コメスの著作(およびさらにそのソースであるニカンドロス[邦訳あり])と比較検討するものでした。神話解釈におけるベーコンの手つきがよく見える発表であったと思います。加賀野井瞳「馬の健康を測る」は馬の体型を測るヒッポメートルという謎器具を取りあつかうものでした。18世紀半ばにあらわれたこの器具はそれぞれの馬の頭の大きさを基準に測定単位を定め、それを用いて各部位の大きさを徹底的に測るためのものでした。なぜこのような器具が現われたかということの歴史的背景が探ることに発表の力点は置かれました。啓蒙期における数量化の進行、ダストン&ギャリソン『客観性』で提唱された “Truth to Nature” “という自然の図像による表象方法との関係(こちらは柴田さんが質問しました)などが気になるところです。いや、とにかく会場がとつじょとして馬空間になった。

 多久和理実「科学啓蒙書に登場するニュートン光学」は、プリズムが7色からなるというアイザック・ニュートンの考えがいかに広まっていったかを探るものでした。実はニュートンの実験助手であるディザギュリエと、イタリアのニュートン主義者であるザノッティが、それぞれ5色、6色論を唱え、必ずしもこの点でニュートンにしたがっていませんでした。7色説が広まりだしたのはヴォルテールをはじめとするニュートン主義の科学啓蒙書においてそれが頻繁に紹介されるようになってからであると言えるというのが発表の結論でした。一口にニュートン主義といわれているものがさまざまな層で実際どのように展開されていたのかは近年研究が盛んな分野です。色彩理論の数学化というニュートンの業績からこの展開をみるとどうなるかについて、さらに包括的な扱いを期待したいです。

 私が出席した会場では総じて学術的に水準の高い発表と、ヒストリオグラフィをふまえた活発な議論が行われていました。