The Cambridge History of Science: Volume 3, Early Modern Science
- 作者: Katharine Park,Lorraine Daston
- 出版社/メーカー: Cambridge University Press
- 発売日: 2006/07/03
- メディア: ハードカバー
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- H. Darrel Rutkin, "Astrology," in The Cambridge History of Science, Volume 3: Early Modern Science (Cambridge: Cambridge University Press, 2006), 541–61.
初期近代の占星術を扱う水準の高い概説です。占星術は現在大学で教えられていません。それは学問研究の正当な対象として実践するべきものとはみなされていないのです。この占星術の学識世界からの追放という現象において、転換点にあたるのが16世紀、17世紀であったと著者は論じます。
占星術は14世紀以降大学のカリキュラムに組み込まれ、教えられていました。数学的諸学と自然哲学の両側面を合わせもつ占星術は、これら二つの領域を統合する役割を果たしていたのです。アルベルトゥス・マグヌスとアバノのピエトロによって理論的基礎とカリキュラムのうちでのたしかな位置づけを与えられた占星術は、レギオモンタヌスにも引き継がれるなど、各地の大学の学芸課程で教えられ続けました。それは『天について』や『生成消滅論』でのアリストテレスの教説、およびガレノスの『分利日について』での理論と結合し、自然哲学に理論的な基礎を提供しました。同時にプトレマイオスの宇宙論に依拠しながら、ある時の星々の位置とそれらがある地点にたいして持つ角度などの考察から、天からの影響を精確に特定しようとする学問として発展します。これに対してピコ・デラ・ミランドラのように、天界からの影響は全般的なものであり、そこから特定の個別的出来事の予見はできないとして、占星術に攻撃を仕掛ける論者も見られました。しかし依然としてメランヒトンはルター派大学での教育改革の核に占星術化されたアリストテレス主義を据えていましたし、それらの大学で学んだティコ・ブラーエとケプラーは、自らが作成した天文表を占星術のために用いていました。ガリレオもまたパトロンや家族のためにホロスコープを読んでいたことが知られています。フランシス・ベーコンは、自らの学問改革のなかに占星術をも含めました。占星術は天気、疫病、戦争など幅広い領域に適用可能であるけれど、それを正しく運用するためには、天からの影響を受ける事物についての正しい認識が不可欠である。この認識を与えるのが自然誌であり、ここにおいてベーコンの新しい学問と占星術が結びつくのです。ロンドン王立協会のメンバーのうちでは、たとえばロバート・ボイルが、天からは光と熱以外の何か物質的なものが流出して地上に届いて影響を及ぼしているはずだと考え、その働きを空気の性質の変化から検証しようとしていました。
しかし占星術が実践され続け、その改革が叫ばれていたにもかかわらず、次第に占星術は知識人層からは正当な学問分野とはみなされなくなっていきます。もちろんこの過程は一気に起きたわけではなく、あるところで占星術がカリキュラムから排除されるまさにその時期(たとえばクラヴィウスによる数学諸学からの占星術の追放)に、占星術を含む教科書が出版されるという緊張関係が長きにわたり続きました。暦からの占星術的説明の排除も速やかに進んだわけではなく、大きな変化が検知されるのはようやく18世紀にはいってからです。自然哲学からの排除もなお複雑であり、大学で用いられる教科書のうちには長きにわたってアリストテレス哲学の枠組みで天からの影響を論じるということが行われていました。また医学の領域ではとりわけ占星術は長く残存します。
デカルトやニュートンにおいてしかし哲学と科学の歴史は新たな段階に進みます。彼らは反占星術的、というか占星術に関心を示しませんでした。彼らの自然学からすれば微細な物質を通じて天界が影響を及ぼすという考えは残存可能であるにもかかわらず、彼らが占星術を論じていないということはそれ自体として注目に値します。デカルト派のうちではロオーが占星術を攻撃しました。天からの影響で実質的なのは太陽の光と熱だけである。それ以外の影響についての議論は根拠がないというのです。ロオーの著作のラテン語訳者であり、ニュートンの弟子であるクラークもまた、太陽と並んで月の影響を認めながら、その他の占星術理論は根拠がないと一周しました。ニュートン本人もまた、占星術の基礎にあったアリストテレスの四原因、実体、付帯性、変化といった基礎概念を廃棄することで、占星術の解体に貢献したと思われます。また彼の学問は観察、数量化、計測可能な現象に何よりも関わっていたので、それらを超えて現象に意味を見出そうとする占星術の居場所が学問のうちになくなったとも考えられます。
チェインバースの『サイクロピーデイア』では、占星術のうち、天界が地上に影響を及ぼすという理論は認められていたものの、未来の予測にかかわる判断占星術は否定されています。『ブリタニカ百科辞典』ではさらにすすみ、占星術は「すでに長きにわたって軽蔑と愚弄の対象となっている」とされ、その学問上の地位は完全に剥奪されました。こうして占星術は知識人たちの学識の一部としてではなく、ポピュラー・カルチャーのなかで残り続けることになります。
こうして旧来のアリストテレス・プトレマイオス・ガレノスに依拠した自然像が崩れるなかで、自然哲学的な基礎を失った占星術は天文学から切り離されて、正当な知識としての地位を失っていったと考えられます。この過程は18世紀以降に、政治の領域において占星術が持っていた役割が失われていったことによっても促進されました。では占星術は何によってとってかわられたのでしょう。著者は明言していないものの、いまや占星術が担っていた偶然を飼い慣らすという役割が、統計学や経済学によって担われるようになったのです。