形相の単一論 Pasnau, Metaphysical Themes, 25.2

Metaphysical Themes 1274-1671

Metaphysical Themes 1274-1671

  • Robert Pasnau, Metaphysical Themes 1274–1671 (Oxford: Clarendon Press, 2011), 578–81.

 単一論の正当化は多くの場合次の一点にかかっていた。それは「単一論だけが実体の単一性を確保できる」というものである。アクィナスによれば、もしひとつの実体のうちに複数の実体形相があれば、それら複数の形相のうえにそれらを一体化させる別の形相がなければならなくなる。しかしそのような役割を果たすことができる形相は存在しない。

 アクィナス自身の立場ははっきりしたものである一方で、その議論はあまりに圧縮されていて、その正当化の論理は明確でない。なぜそこで後代の単一論者の議論を参照する必要がある。スアレスは次のような議論をしている。ひとつの実体のうちに認められる能力や活動はひとつの本質的原理に由来せねばならない。もしひとつの実体のうちに多くの実体形相があれば、その実体中の性質は、本質的な性質もふくめて、それぞれ別の形相に由来してしまうことになる[ここは議論が循環しているように見える]。より形而上学的な議論として、単一の実体形相を認めることによってのみ、実体中の様々な部分が同じ実体の諸部分であるということが説明できるというものがある。ひとつの実体形相が部分のアイデンティティを担保するのだ。

 さらに形而上学的な議論をビュリダンは示す。あるものの名前はそれが果たす仕事(opera)によって決められる。たとえば骨や肉は生きている生物のうちでそれらが果たす役割からそう呼ばれる。だから死体のうちにある骨や肉は、たとえ同じ物質的組成を有していたとしても、生物のうちにある骨や肉とは異なり、骨や肉と言われるのも同名異議的にそう言われるにすぎない。ここで生物のうちで骨や肉が求められる役割を果たすのは、それが生物の実体形相に与っているからにほかならない。もしそれらが独自の形相を有してしまえば、それらは生物全体の機能とは無関係に働きをなせることになり、統一体としての生命体の機能が果たせなくなる。よって生物のうちにも形相はひとつしかないと考えねばならない。

 以上の例から分かるのは、スコラ学者は形相が果たす自然学上の役割(諸々の能力が統一的に発現させる)から、その形而上学的な意義(固体化)を導きだしていた。これは前者の議論の有効性を否定しながら、後者からくる必要性から形相を認めたライプニッツの議論とは異なっている。

 いずれにせよ、単一論者にとってひとつの形相がひとつの実体を確保するという点で、実体の単一性はきわめて強固なものであった。