オッカム以後の展開 Courtenay, "The Dialectic of Omnipotence" #3

  • William J. Courtenay, "The Dialectic of Omnipotence in the High and Late Middle Ages," in Divine Omniscience and Omnipotence in Medieval Philosophy, ed. Tamar Rudavsky (Dordrecht: Reidel, 1985), 243–69.

 絶対的力を、神の力の語り方の一つでなく、神の力のうちの一つの類型ととらえることが当初の用法からの逸脱であると多くの神学者は気がついていた。オッカムはそれが誤解であることを強調したし、その姿勢はGregory of Rimini、Pierre d'Ailly、Gabriel Bielといった人物たちに引き継がれた。オッカムは絶対的力と秩序付けられた力の区別を、いまある世界は必然の産物ではないことを示すために用いた(術語が導入された当初の意図に忠実である)。彼は決して絶対的な力を、神が現実に行っている世界への介入(奇跡)と結びつけることはなかった。それはあくまで秩序付けられた力の範囲にある。神の力と教皇権とのアナロジーにしても、教皇の法への従属が自発的なものであると示すために用いられた。彼をはじめとする多くの神学者の見解にもかかわらず、神の絶対的な力を神が世界に対して実際に行使する力と解釈することはとまらなかった。秩序付けられた力と絶対的な力の区別が教皇や世俗の王に適用され、現実的に教皇や王がときに法を超越したふるまいをする以上、そのふるまいが絶対的力の行使としてとらえられることをとどめることはできなかったのだ。これを引き継いだヘンリー八世は自らの離婚を絶対的力の行使として正当化することになる。