神の絶対的力の変質 Courtenay, "The Dialectic of Omnipotence" #2

  • William J. Courtenay, "The Dialectic of Omnipotence in the High and Late Middle Ages," in Divine Omniscience and Omnipotence in Medieval Philosophy, ed. Tamar Rudavsky (Dordrecht: Reidel, 1985), 243–69.

 絶対的/秩序付けられた力の区別が、神を必然性で縛ることの回避のために用いられているぶんには問題は生じなかった。問題はこの区別と、神がなす奇跡の関係が十分に定式化されていなかった点にある。本来奇跡は神の絶対的力とは関わらないはずだった。絶対的力は実際の行為とは無関係に神の力をとらえたときの語り方であるのにたいして、奇跡は実際に起こっているからだ。よって奇跡は秩序付けられた力と関連づけられねばならない。だがスコラ学者の議論をみると、秩序付けられた力をめぐる議論のうちに奇跡が占める場所はあまり残されていない。彼らは秩序付けられた力を、現在世界に通常見られる秩序との関係で語ることが多かった。だがこの秩序を停止することが奇跡である。よって本来ならば、秩序付けられた力を二つに分けねばならなかった。一つは奇跡を含む神の行為を語るさいの秩序付けられた力と、今ある通常の秩序を語る際のより限定された秩序付けられた力である。だが中世にこの区別が十分に定式化されることはなく、ここより混乱が忍びこむことになる。奇跡が絶対的力の発現と見なされるようになるのだ。

 この混乱を促進したのが、教皇の力を語るために絶対的/秩序付けられた力の区別が援用されたことだった。13世紀初頭の教会法学者は、教皇権と教会法との関係を定式化しようとしていた。教皇は現行の教会法にしたがわねばならない。だがそれは強制的従属ではあってはならず、むしろ自発的従属ととらえられるべきだ。一方で、教皇は教会にとってのより大きな善のために、個別的な法を変えることができる。このような教皇と教会法との関係を表現するさいに、絶対的/秩序付けられた力の区別を用いるのは有用であった。

 教皇権の議論に絶対的/秩序付けられた力の区別が援用された最初の例は、1270年に書かれたHostiensisの著作にみられる。そこで彼は仮想的問題として、教皇がある修道士を清貧の誓いから解放すると同時に、その人物が修道士としてあり続けることを許せるかどうかを問うた。回答のひとつとしてHostiensisがしめしたのは、教皇はその絶対的力を通じて、修道士の本質を変えることができるがゆえに、清貧の誓いと無関係にある人物が修道士であることを許せるというものだった。ここで絶対的力は行為とは無関係にとらえられた抽象的可能性としてではなく、実際に行いうる行為を実現するための力と捉えられている。

 法学的観念が神学に入り込むのはスコトゥス以降である。彼は神がなにものにも縛られないことを強調して、神は現にある秩序をその絶対的な力をもって変更できると主張した。こうして絶対的力/秩序付けられた力は、神の力についての二つの語り方ではなく、むしろ神の行為の区別に対応するようになったのであった。