天の高貴と地の卑俗 ヒライ「ルネサンスの星辰医学」

 ルネサンス期における医学理論と実践のうちで、天界にいかなる意義と役割とが与えられていたかを概観した論考である。医学が考察の対象とするのは人体であり、人体はこの地上にある様々な事物のうちの一つなので、医学における天体の影響を考察するものは自ずと、この世界において天と地がいかなる関係に立つかというスケールの大きな考察に導かれた。この領域を探求している研究者はきわめて少なく、本論でまとめられている内容が、実質的にいま人類が手にしている知見の先端である。

 著者によれば、ルネサンス期における天界の理解は、二人の著名な哲学者によって対照的な規定のされ方をしていた。一人はピコ・デラ・ミランドラである。彼はその『占星術論駁』(1496年)のなかで、星々の地上への影響をその自然的な側面に限定した。運動、光、熱を通してのみ星は地上に作用する。天の影響を自然主義的なものに限定していく志向は、医学人文主義者のニッコロ・レオニチェノに引きつがれる。レオニチェのによれば、天から生命の原理が到来するという学説はアラビアの哲学者によってもたらされた誤ちである。そのような後代の付加物をとりさってガレノスの哲学を再構成するならば、彼が生命原理である霊魂を四元素の混合物とみなしていたことが分かる。こうしてレオにチェノはピコの方向性に沿って、天界と生命とのつながりを否定したのだった。

 ピコと対立する見解を提示したのがマルシリオ・フィチーノである。古代末期のプラトン主義文献によりながら、彼は世界を一つの生き物とみなした。この生き物の体は世界にあるすべての物質である。それを支配する霊魂(世界霊魂)がある。この両者は媒介物である精気(世界精気)によってつながっている。世界に充満したこれら霊魂や精気を適切に操作する術師(マグス)であれば、人体の健康も適切に管理できるとフィチーノはみなした。

 本論の大半はフィチーノの路線にたって天と地のあいだに自然主義が認める以上の深いつながりを認める論者に割かれている。ジャン・フェルネル、その弟子のアントワン・ミゾー、ジローラモカルダーノコルネリウス・ゲマ、そしてパラケルススパラケルスス主義者のジョゼフ・デュシェーヌである。彼らはその理論の細部に違いはあるものの(そしてその違いは重要なのだけど)、みな天と地とのあいだには密接な呼応があると考えていた。その呼応はとくに、この地上で生じるきわめて卓越した事象、たとえば生命の発生やその維持といった局面で顕著にみられるとされた。そのような現象を司る要因のうちには、たとえば天界より来たる神的ななにかがあるとされ、そのなにかとこの地上の物体をつなぐ媒介者である精気の理論が洗練された。パラケルススやその追従者たちは、そのような天的で神的なものを錬金術の技法でとりだして、万病に効く医薬にしようとした。

 これらの議論の細部については論考に目を通してもらうことにしよう。またたとえばジャン・フェルネルに関する詳細な議論は、発売されたばかりの『知のミクロコスモス 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』(中央公論新社、2014年3月)にみることができる(ヒロ・ヒライ「霊魂はどこからくるのか? 西欧ルネサンス期における医学論争」)。ぜひ参照してほしい。

 ここでは彼らに天と地の呼応を確信させていた一つの思考の型を紹介しよう。この点が本論ではきれいにしめされているからだ。その役割を果たすのがガレノスである。彼は言う。

素晴らしい力を備えたある種の知性が大地をつらぬき、すべての部分に満ちているということを考慮しないのは誰だというのか?…世界のすべての部分において、この唯一の大地はまちがいなくもっとも卑俗で低位のものだろう。しかし、そのような部分にも、かの高位の諸物体[星々]からやってくる知性がやどっているのだ。(27ページ)

太陽や月は神的で星辰的であり、それに反してわれわれは土くれの像でしかないが、そのどちらの場合にも同じくらい素晴らしい創造主の業が存在しているのだ。(32ページ)

 地上の現象を説明するために天界を呼びだす議論が私たちに奇異に見えるのは、ここでガレノスが表明しているような信念が失われているからである。簡単にいえば、天は地上よりもよい、すぐれている、高貴であるというような前提がまずある(その背後には天は地上よりも規則的で、そこの事物は永続的である。そして規則的かつ永続的なものは「よい」という信念がある)。そこで地上でおきるいくつかの現象、たとえば生命の発生を見てみるなら、人間の理解をあきらかに超えた精妙な働きが認められる。であればこの原因は地上を超えた高貴な場所である天界にもとめねばなるまい、となるわけである。

 「太陽や月は神的で星辰的であり、それに反してわれわれは土くれの像でしかない」。この前提をひとたびおいてみれば、本論で様々なヴァリエーションのもとに展開される議論がなぜ論者たちによって必要であったかが分かるだろう。過去の人々の理性はいまと同じではないけれど、まったく異なるわけではない。ではその異質性と同質性はどこからくるのか。この点をあきらかにする試みとして、インテレクチュアル・ヒストリーをとらえることはできないかと私は考えている(あくまで私ね)。