救貧の理想の誕生 ブラウン『貧者を愛する者』第1章

貧者を愛する者―古代末期におけるキリスト教的慈善の誕生

貧者を愛する者―古代末期におけるキリスト教的慈善の誕生

  • ピーター・ブラウン『貧者を愛する者 古代末期におけるキリスト教的慈善の誕生』戸田聡訳、慶應義塾大学出版会、2012年、1–80ページ。

実際、ユダヤ教徒が誰一人として物乞いをせず、かの不敬なるガリラヤ人が自分たちの貧者だけでなく私たちの貧者をも支援しているのに、私たちの民が私たちからの援助なしでいるのを万人が目の当たりにするのは、不名誉なことだ。(3ページ)

ユリアヌスがこのように述べたのは362年のことでした。当時すでにキリスト教の一大特徴として、貧しい者をキリスト者であるかいなかにかかわらず援助することが認められていたことがわかります。以後貧者救済の理念がキリスト教の中核を占め続けていることは、昨今の教皇の言動からもうかがうことができます。しかし救貧の理念とキリスト教を自動的に結びつけてしまうことは、ある歴史の展開を見えなくしてしまいます。それはユリアヌスが上の発言をした時点では、キリスト教徒たちのあいだで貧者への愛という徳目は比較的新しいものであったということです。それは初期の教会にはありませんでした。いつ、そしてなぜこのような徳目は生まれたのか?

 まずキリスト教が生まれるはるか以前から、ギリシア、ローマでは富める者が自発的に財産を施与することが日常的に行われていました。というよりもこのような施与によって都市(ポリス)は成り立っていました。公的善行者、エウテルゲースの存在に古代の政治・経済は依存していたのです。ここで注意せねばならないのは、ここで富める者が施与するのは、ポリスを構成する市民、ないしはポリスそのものであったということです。そのような人々のうちに貧者がいたこともありました。しかし彼らは貧者として援助を受けたのではなく、あくまでポリスの市民として助けられたのです。ローマが帝政に移行してからは、皇帝こそが最大の公的善行者とみなされました(パンとサーカス)。

 一方新たに起こったキリスト教は、富める者による施与にかんして異なる理念を有していました。まず貧者を救わねばならないという強固な意志がありました。しかしこれは世の貧者一般ではなく、あくまで同胞のキリスト教徒のうちで貧しい者を指しました。さらに特徴的なのは、この貧しいキリスト者への救いを、聖職者を通じて行おうとした点です。ここでキリスト教の聖職者が古代世界に伝統的に存在してきた宗教的エスタブリッシュメントと異なる性格を持っていたことが重要な意味を持ちます。古代では宗教の祭祀を行うのは十分な余暇を持つ者であり、これはつまり富める者で、しばしば公的善行者その人でした。たいしてキリスト教においては聖職者のいわば「民主化」が起こります。まったくの貧困者ではないものの、さりとて完全な余暇を享受することもできないような層の活動にキリスト教は依存することになります。信者から金を巻きあげて安閑に生活しようとする一種の宗教的起業家というイメージが強く警戒されたことは、この新たなタイプの聖職者層の存在の傍証になります。よってキリスト教における富める者による施与というのは二重化します。一つは貧しいキリスト者への助けす。もう一つはそのキリスト者を助けるための聖職者という新たな貧者への援助でした。

 以上の古典古代からの公的善行という徳目と、信徒内での二重の施与という体制が結合したところに、ユリアヌスが看取した貧者への愛という徳目が成立しました。コンスタンティヌスの改宗により、キリスト教における富める者は、ローマ皇帝という最強の公的善行者に変貌しました。その施与は特に租税の免除という形で与えられます。だがなぜキリスト教は皇帝の気前のよさにあずかることができるのか。それとひきかえにキリスト教は共同体のために何をなしてくれるのか。ひとたび支援が公的なものとなると、教会はこのようなことを説明する責任を負うことになりました。また援助する側(皇帝、裕福な平信徒)も自らの施与を受ける特権が教会により正当に行使されているかどうかに目を光らせるようになります。ここから、キリスト教聖職者たちは、自らが受けた施与はたんに貧しいキリスト者だけではなく、およそ貧者一般を救うために使われるのだと論じるようになりました。貧者への愛という徳目の成立です。

 これは貧者の発明であったと言えます。むろんそれ以前に貧しい人々がいなかったわけではありません。いなかったどころの話ではなく、古代世界というのは安定した市民共同体というレトリックとは裏腹に、多くの人々が運命のちょっとした変転により即座にまったくの貧困層に落ちてしまう危険の縁にいたきびしい世界でした。しかしその者たちが何らかのカテゴリーとしてひとまとまりに観念されることはありませんでした。それが今やキリスト教司祭たちのまなざしにより一つの集団となります。それは後の時代に観念されたような社会不安を招く危険分子としての貧者はなく、もっぱら教会から施与を受ける受動的で顔も持たない貧しき者たちでした。貧者への愛という徳目の成立は、救貧院や病院という古代世界が持ったことのない施設を生みだしました。これらの施設は貧しい人々が増加したから誕生したのではありません(それは常にいた)。むしろ貧しい人々が施与の対象として、聖職者特権の正当化の回路の一つとして認知されたから生まれたのです。