Psychologiaの導入 Lamanna, “On the Early History of Psychology"

  • Marco Lamanna, “On the Early History of Psychology," Revista Filosófica de Coimbra 38 (2010): 291-314.

 Psychologyという術語が採用され、広まっていく過程をおった論文である。現在確認されているかぎり、最初にpsichiologiaという単語を用いたのはクロアチア人文主義者であり、1520年ごろのことであった。しかしこの著作が読まれ、後世に影響を与えることはなかった。サイコロジー誕生の局面に出会いたければ、16世紀半ばのドイツ語圏に着目せねばならない。

 そもそも霊魂論が学問分類上のどこにおさまるかについては、アリストテレスが確たる回答をあたえていなかったこともあり、さまざまな見解が古代より存在した。そのうち16世紀のイタリアはパドヴァで有力となった学説として、霊魂論は自然学と形而上学の中間に位置し、それゆえそれら二つとは独立の自律的学問分野であるとするものがあった。この見解をたとえばアゴスティノ・ニフォが支持した。ニフォはこの分野のことをdemonstrationes animasticarumと呼んだ。近年の調査によりニフォの霊魂論がドイツで広く読まれていたことがわかっている。またパドヴァの哲学は、ザバレラの著作や、イタリアに留学し彼の講義を受けた人物(たとえばカルヴァン主義者のClemens Timpler)によっても、ドイツで広まりを見せていたと思われる。とくにザバレラの著作の編集を行ったJohann Ludwig Havenreuterが監督した討論(1590年)にPsychologia(ギリシア語)という言葉があらわれるのは興味深い。霊魂論の位置づけをめぐる議論がいかにドイツに波及したかはさらに調べられねばならない。

 ドイツ語圏で最初にpsychologiaという術語を用いたのは、Johannes Thomas Freigiusである。カルヴァン主義者にしてラムス主義者であった彼はフライブルクバーゼルで論理学と修辞学の教授をつとめた。彼は1574年の著作のうちでpsychologiaという術語を用いている。彼の議論ではpsychologiaは自然学の一部であり、そこからは質料から離れた存在である知性に関する議論ははぶかれている。

 Psychologiaの普及に最も貢献したのはしかしマールブルク大学教授のルドルフ・ゴクレニウスであった。彼は1590年にpsychologiaと題した書物を出版した。人間霊魂の起源の問題を扱った著作である。人間霊魂にpsychologiaの対象を限定する点で、ゴクレニウスはFreigiusとは対照的である。しかしFreigiusと同じくゴクレニウスはpsychologiaを自然学に分類したのであった。ゴクレニウスは著作を通じてだけでなく、psychologiaという表題や単語を含む数多くの討論を監督することで、この術語の拡散に寄与した。彼の生徒でカルヴァン主義者のOtto Casmannは、1594年にPsychologia Anthropologicaという著作を出版している。

 やがてpsychologiaという術語はルター派の人々にも広まっていった。Christoph Scheiblerは自らがギーセン大学(新設のルター派の大学で、カルヴァン主義のマールブルク大学に対抗していた)で主催した30の討論を集めた書物に、Collegium Psychologicum(1608-1609)という表題をつけた。

 こうして霊魂を論じる学問として、psychologiaという術語が広まることになる。しかしこのことはそれで指される領域に関しての同意が形成されたことを意味しなかった。19世紀にはいり、霊魂・心についての学問が自然学(物理学)と形而上学から分離するまで、psychologiaは多用な含意をもたせられながら使われていったのであった。