近代の暴力と女性の喪失 村上『ねじまき鳥クロニクル』

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

 村上春樹ねじまき鳥クロニクル』を読んだ。日本の近代史にみられる深い暴力性がまわりまわって主人公の妻の兄にひきつがれ、その兄が妻を「損なって」「汚して」しているので、主人公はその暴力性(あるいは暴力性を発現させるなにか)の根っこと戦うという話である。こうやってまとめると何がなんだかわからなく、そして実際に全体をとおして読んでみても何がなんだかわからない小説である。とくに最終の第3部は異なる様々な叙述形式をとった様々な時系列に焦点をあてた章が入り乱れていて、各部位が全体のうちで果たす役割を追うのは困難である。ただし第3部には謎の勢いはある。個々の挿話も印象的である(くりかえしになるが意味はよくわからない)。また第1部はユニークな登場人物たちによるコミカルな会話が楽しい。そんなこんなで近代日本の暴力性と女性の喪失という2つの(私からすると)なんの関係もない主題がなんか関係あるように思えてきて、これだけの長大な物語を読み切ってしまうあたり、私はこの作品が好きなのだなと思った(通読したのは三回目であった)。とはいえ、この村上のやり方を通じて読者としての私が外蒙古や新京やシベリアの炭鉱で発現した暴力(の根)に迫れていると感じるかというと、そういう実感はない。私には別の道筋が必要なようだ。