模擬弁論をつくる文献学者 ヴァッラ『「コンスタンティヌスの寄進状」を論ず』第1章

「コンスタンティヌスの寄進状」を論ず

「コンスタンティヌスの寄進状」を論ず

 ロレンツォ・ヴァッラが15世紀半ばに著した書物は、ルネサンス人文主義を代表する業績として広く知られている。そこでヴァッラは長きにわたってその真正性が疑われてこなかった文書が捏造であることを暴いてみせた。その文書とはいわゆる「コンスタンティヌスの寄進状」である。コンスタンティヌス大帝が当時の教皇シルウェステルに、西ローマ帝国の支配領域を寄進したと記録する文書である。これが後代の創作であることをヴァッラは人文主義が研ぎ澄ませてきた文献学のメスをふるうことで白日の下にさらしたというのだ。

 その記念碑的作品がこのたび日本語にはじめて訳されたのでよろこびいさんで読みはじめた。最初の章を読み終えて気がつくのは(訳者の方も強調されていることであるが)、ヴァッラの議論は通常の歴史記述(うえで私が書いたもの)で触れられる内容で尽きてはいないということである。たとえば最初の章では「文献学的な議論」というのは一切みられない。そこで行なわれているのは、もしコンスタンティヌス教皇シルウェステルに領土を寄進するとなったならば何が起こったであろうかという想定である。その想定は具体的には、コンスタンティヌスの周りの人々と、シルウェステル本人が、寄進の意を明らかにした皇帝にたいして言ったであろう内容の復元として現れる。これら二つの陣営が行ったであろう演説が第1章の中核を占めるのである。これは厳密にいえば文献学作業ではない。ただし人文主義の伝統には忠実に寄りよったものである。なぜなら架空の演説を創作する古代のデークラーマーティオー(declamatio 模擬弁論)なる修辞学伝統を引き継ぐものだからである。

 というわけで第1章は異教サイドのコンスタンティヌス関係者と、キリスト教サイドの教皇シルウェステルの演説からなる。ここで両陣営ともどうして寄進を教皇が行うべきではないかを述べるのである。そこで駆使される修辞と、反対の論拠の数々が、人文主義としてのヴァッラの腕の見せどころであった。またおそらく教皇による演説は現状のカトリック教会への皮肉としても意図されていた(少なくとも絶対にそう読まれた)と思われる。

 訳書の出現により定型的な理解から古典が解放されていくのはまことに喜ばしい。一つ注記しておかねばならないのは、本書がラテン語からの訳ではなく、フランス語訳からの重訳であるという点である。そのためか訳文には問題がないわけではない。しかしこの点については全体を通読したうえで、機会があればコメントすることにしたい。