後期中世の聖餐論 Bakker "La raison et le miracle"

  • Paul J. J. M. Bakker "La raison et le miracle: les doctrines eucharistiques (c.1250-c.1400): contribution à l'étude des rapports entre philosophie et théologie," 2 vols. (Ph.D. dissertation, Katholieke Universiteit Nijmegen, 1999), 1-19.


 後期中世の聖餐論をめぐる最重要文献である。現在の研究はすべてここから出発せねばならない。その序文である。

 中世の聖餐式をめぐる考察は、中世において哲学と神学が交差するまたとない場所であった。アリストテレスの哲学の枠組みで神学的問いが発せられ答えられたのである。実際、聖餐式をめぐる考察は文法学、自然哲学、そして形而上学の領域の考察につながっていった。「これは私の体である」という新約聖書の文言の分析が文法の考察へと学者を導いた。この文言によって引き起こされる変化を考察するなかで、変化をこうむる量についての思索や、変化の性質そのものをめぐる区分(e.g. 変化は連続的なのか瞬間的なのか)が自然哲学の領域で深められた。形而上学の領域では、聖餐における変化を実体と付帯性の分析を通じて説明することが行われた。ここではまた実体の単一性や、実体形相の複数性も問題とされた。この問題は一三世紀終わりから重要性をましていく。

 このように聖餐式をめぐる考察は、中世の思想の多くの側面と関係を持ち、それを規定していた。しかしその研究には大きな欠落がある。これまでの主要な研究はおもに大学での神学探求活動が本格化する以前を扱っている。ロンバルドゥスの『命題集』への注解制作が大量に生みだされはじめるのは、1250年からであった。ここから以前と比べるならば同質性の高い論考が生みだされはじめる。次に大きな変化をつげるのは、フスの登場する1400年である。これ以後、聖餐式をめぐる議論は以前とは性質を変える。そこでこの論考で目指されるのは、1250年から1400年までの聖餐論の追跡ということになる。その時点までにすでにトゥールのベレンガリウスの見解は異端であるとしてしりぞけられていた。聖餐のパンとワインは、血と肉の徴(signum)であるという見解である。彼を弾劾する文においては、パンとワインは真に血と肉であり(1059年のもの)、パンとワインは聖餐においてsubstantialiterに血と肉に変化(convertere)しているとされた(1079年)。この二つの命令が以後の聖餐論を深く規定していくことになる。

 この時期の神学者は聖餐が奇跡であると認めていた。しかしそれは彼らをして、理性的探求を行うのをやめさせはしなかった。むしろ分析をとおして、奇跡の性質を見極め、複数の奇跡を分類するという営みが発展した。それが主に行われたのは『命題集』注解においてであった。本論では『命題集』第4巻の第10、11、12区分に現れる問題が取り扱われる。それらはすなわち、10) 聖餐式に現れるキリストの血と肉の存在とはいかなるものであるのか、11) 聖餐式における変化はいかに起こるのか、12) 変化後のパンとワインの実体と付帯性はいかなる状態にあるのか、という問いである。これらの問いが、1250年から1400年までのあいだいかに探求されたかを探る試みである。