ガッサンディ vs. フラッド Cafiero, "Fludd e la polemica con Gassendi"

  • Luca Cafiero, "Robert Fludd e la polemica con Gassendi," Rivista Critica di Storia della Filosofia 20 (1965): 3–15.

 ガッサンディによるフラッド批判を扱った論文を読む。対象としているのは、ガッサンディが1630年に出版したフラッド批判書である。著者によれば、ガッサンディ研究には大きな特徴がある。それはガッサンディの哲学を一つの体系として理解することである。これは扱う対象を『集成』に限定させる。同時に、『集成』に現れている考えに、一つの大きな特徴を与えることになる。代表的なものが1889年に出されたThomasの研究であり、それによるとガッサンディの体系というのは、エピクロスの哲学をキリスト教の枠組みに収めようとしたものとして理解できるという。逆にPintardの研究のように、ガッサンディの哲学から正統的でないと考えられる部分だけを選び出してきて注目するという研究も生まれた。

 このような観点からは、1630年代のフラッド批判書というのは、軽視されることになる。しかし、この本は注目する価値がある。というのも、そこには、いわば生成途上のガッサンディの哲学が現れているからである。ガッサンディはフラッドのように象徴だけに基づいて自然を理解するのは間違っていると考えていた。そうではなく感覚からデータを引き出し、それを量的に扱わなければならないと考えていた。そうやって得られた結論も、絶対の確実性は持たず、あくまで蓋然的な結論として理解される(なお、ガッサンディは、ケプラーも世界の調和についてあくまで仮説として述べたと断定している)。このような科学的な志向がすでに見られる一方で、フラッド批判書にはエピクロス哲学についての言及はほとんどない。ここから分かるのは、ガッサンディの哲学の発展にとっては、まず科学的な志向があり、そこにエピクロス哲学の導入が来たということである。これは、宗教的な枠組みのなかに、エピクロス主義を修正を施した上で導入したという、Rochotの見解とは相容れない。

 だとするとむしろ問題は、経験から仮説を引き出すにとどまろうとする経験主義・実験科学的な志向と、宇宙論まで含む壮大な体系としての原子論が、どうしてガッサンディのなかで両立し得たかということになるだろうと、著者は結んでいる。

 著者が考えるような、「神学的な枠組みがあってエピクロス主義がそこにくる」と「科学的な枠組みがあってエピクロス主義がそこにくる」といった区別が成り立つかどうかは疑問である。科学の成果と宗教の前提が両方とも保持されなければならないというのが、ガッサンディの出発点だろう。

 著者が末尾で述べているような、経験主義の枠内にとどまろうという考え方と、エピクロス主義の導入がもたらす包括的な体系の構築がどう両立するのかという問題は、まだガッサンディ研究のなかでうまく答えられていないように思える。ただ、ガッサンディは蓋然的な仮説という言葉を、現代の私たちが想定するよりもはるかに広い(ゆるい?)意味で使っているようには思える。だから、体系の構築も、経験主義の仮説のうちに一応入る。