- Noel Malcolm, "Hobbes, Ezra, and the Bible: The History of a Subversive Idea," in Malcolm, Aspects of Hobbes (Oxford: Oxford University Press, 2002), 383–431.
続いてMalcolmは、トスタトゥス以降にモーセ五書のうちにモーセに由来しない言葉を認めた人物として、初期の宗教改革者であるカールシュタットを挙げる。しかしこの点に関するカールシュタットの著作はほとんど読まれなかったという。
Malcolmがより重要であったとするのは、カトリックのアンドレアス・マシウスの著作である。彼の死後に出された『ヨシュア記』に関する著作(1574年)でマシウスは、エズラは、「神の家に保管されていた様々な年代記」の中に分散していた一群の史料を収集し、整理して、『ヨシュア記』『士師記』『列王記』、さらにはその他の文書を編纂したのだと主張した。
Malcolmによれば、マシウスはエズラが編纂した書物の中にモーセ五書を含めていない。彼はモーセ五書のあちこちにエズラが僅かな言葉や文を挿入したと認めただけである。しかしある箇所では、現在の形のモーセ五書はエズラや他の人物によって書かれたとしている。さらにマシウスは歴史書の編纂に際して「日記や年代記」が使用されたと主張する際に、『民数記』第21章14節にある『主の戦いの書』を例に挙げている。この書からの引用ではモーセの行動が描写されており、モーセ以外の人物、たとえばエズラの挿入の例であるように思われた。ここからさらに、エズラがモーセ時代に遡る日記や年代記にアクセスできたのであれば、モーセ自身について書かれたモーセ五書も、エズラが編纂したと考えるところまでいくことも、マシウスの書の読者には可能であっただろうとMalcolmはする。
Malcolmは以上のようなマシウスの理論を、旧約聖書をイスラエル民族の書記たちが長期に渡って書き記してきた史料の産物とみなすリチャード・シモンの理論や、18世紀のジャン・アストリュックのような研究者のQuellenforschungの出発点となったと評価する。
Malcolmは、マシウスの正統性が疑問視されることはなかったとする。たとえばベント・ペレイラは、古代のイスラエル民族においては「日記や年代記」が会堂に保管されていた可能性が高く、またモーセ五書の様々な部分がモーセよりはるかに後の時代に挿入されたと主張している。またコルネリウス・ア・ラピデは、マシウスの理論をモーセの書にまで拡張して、モーセは日記や年代記を書き、後にヨシュアがそれを編纂したと主張した。しかし同時にア・ラピデはエズラがヘブライ語聖書全体を修正したと考えて、「今日に至るまで」という語句がでてくる箇所はすべてエズラによるものだと主張した。
Malcolmは、ア・ラピデの重要性は、モーセ五書の中に後の挿入だと思われる箇所があるということを一般的に認めたことであるとする。これにより、モーセ五書にモーセ以降に書かれた部分があるという考えは広まり、それに反対する人物でさえ、一部はその見解を受け入れざるを得なくなった。たとえば、イエズス会士ジャック・ボンフレールは、1625年の五書の注釈で、モーセ五書がモーセによって書かれたことを可能な限り擁護したものの、彼ですら『申命記』の末尾をはじめとするいくつかの箇所は後代の挿入だと認めざるを得なかった。