複数の不動の動者とその区別 Wolfson, "The Plurality of Immovable Movers"

Studies in the History of Philosophy and Religion, Volume 1

Studies in the History of Philosophy and Religion, Volume 1

  • Harry A. Wolfson, "The Plurality of Immovable Movers in Aristotle, Averroes, and St. Thomas," Harvard Studies in Classical Philology 63 (1958): 233–53, repr. in Wolfson, Studies in the History of Philosophy and Religion, 2 vols. (Cambridge, MA: Harvard University Press, 1973–77), 1:1–21.

 宇宙論を論じる上で欠かすことのできない論文です。アリストテレスが天球の回転を説明するために不動の動者という存在を導入したことはよく知られています。問題は彼がある場所ではこの不動の動者は一つしかないように語り、別の箇所ではそれが多数あるかのように語っていることです。著名なアリストテレス研究者であるイェーガーは、この矛盾をアリストテレスの思想の発展を反映したものととらえました。当初単一の不動の動者を想定していたアリストテレスは、後年になって複数の動者を想定するようになったというのです。

 しかしイェーガーの発展説を正しいと認めたとしても、現存するアリストテレスのテキストに矛盾があるとは言えません。動者の数を巡る議論には整合性があります。たとえば『自然学』第8巻6章には「運動は永遠であるからして、第一の動かすもの(もし一つであれば)も、永遠でありうる。もっとも、もしより多くあれば、そのような永遠な動かすものどもはより多くあろう。しかし多くあるよりはむしろ一つであり、無限に多数であるよりはむしろ有限である、と考えるべきである」(出、岩崎訳)とあります。これは不動の動者が一つであると論じているように見えます。するとその直前に動者の複数性を論じた箇所と矛盾するのではないか。しかし引用箇所でアリストテレスが述べているのは、第一の不動の動者が一つしかないということです。不動の動者一般が一つしかないと言っているのではありません。引用箇所の目的は、世界が複数あることを否定することにありました。世界は一つしかないから第一の不動の動者は一つしかない。よってここから、下位の不動の動者たちがあることは必ずしも否定されません。

 複数の不動の動者についての議論はアリストテレス後にも見られます。アヴィセンナアヴェロエスは不動の動者のことを知性と呼びました。彼らにとって問題となったのは、質料を持たない知性(不動の動者)がどうして複数でありえるかということでした。というのもたとえば人間が複数であるのは、それぞれの人間が別々の質料によって区別されるからです。しかし不動の動者ではこのような区別がつけようがありません。ではどうして複数の不動の動者が想定できるのか。アヴィセンナは、ファーラービーから引き継いだ流出論のスキームを適用します。上位の知性から下位の知性が流出してくる。よって両者のあいだには原因と結果の関係がある。原因は結果より高貴であるからして、両者のあいだには上下関係がつけられる。よって質料はなくとも複数の知性を互いに区別できる。それゆえ諸知性の多数性が言える。アヴェロエスは流出論は否定したものの、やはり知性のあいだには上位から下位に至る階層構造があるとみなし、そこから不動の動者たちを互いに区別できると論じました。

 アヴェロエスの議論はさらに複雑な側面を有しています。不動の動者はそれぞれに貴賎があるがゆえに、厳密に同じ種であるとはいえない。ソクラテスプラトンが同じ種であるのとは異なる。しかし同時に不動の動者のそれぞれは、牛と人間が種として異なるというほどには異なっているとは言えない(すべて知性だと言える)。よってそれぞれの知性は、ある意味では互いに種として別であり、しかし別の意味では同じ種に属すると論じました。これにたいしてトマス・アクィナスはそれぞれの不動の動者は端的に異なる種に属すると論じ、アヴェロエスを批判しています。

メモ

 星と天球が同じ素材から成ることについて。

それぞれの星は、そこで運動している当の場[天球]を構成している物体から成るとするのが、たしかに最も合理的であり、またこれまでに語られたこととも一致する。なぜなら、本来円運動する物体があるとわれわれはすでに言ったからである。(『天について』2巻第7章、池田訳)