カルダーノの知性論、霊魂論における光の比喩

 今日はカルダーノ『霊魂の不死性について』の第13章を読んでいました。

 カルダーノによれば神から力が発して、それが天を通って地上までたどり着いています。この力は「精神mens」とも呼ばれ、光にたとえられています。たとえば人間の場合この精神が体の形相たる霊魂と結合すると、「質料的知性」をまきちらします。人間の霊魂は透明でありかつ鏡のような性質を持っているため、この質料知性は霊魂の内部で反射を繰り返し、この反射が理性、想像力、記憶の領域で起こるために人間は知性認識をすることができます。また霊魂が透明で精神が入ることができるということは、人間にとって知性は内在的で個別的であることを意味します。

 一方、動物の霊魂は人間のそれのように透明ではないので、やってきた精神を受け入れることができません。したがって精神は外部から動物霊魂を照らすことができるだけです。そのため動物霊魂の内部では質料的知性の反射は起こらず、それゆえ知性認識は生まれません。またこのとき精神はあくまでも外部から霊魂を照らすだけなので、それぞれの個体によって個別化されていません。このためこの動物にとって外部にある精神(これはしばしば動物の霊魂とも呼ばれます)はそれぞれの種に一つしかなく、種の内部の個体がそれぞれ別の精神を持つということはありません。

 細かいところでまだ理解が行き届いていないのですけど、とにかく分かるのは光の比喩を極限まで応用して理論をつくっているということです。

 しかしこういう説明と彼の三元素と熱湿に基づく物質論がどこまで整合的に展開されうるのかは謎です。あと体の形相たる霊魂というのはやはり精神がやってくる前に存在するものでしょうか。これは質料と睦びついた熱と考えていいのかな?いろいろ謎が深まります。いずれにせよこの章は重要で楽しいので機会があれば翻訳したいですね。