天の不可滅性にみるアリストテレス主義の変容

  • 「中世と初期近代のスコラ学自然哲学に重大な違いはあったのか?宇宙論の事例」Edward Grant, "Were There Significant Differences between Medieval and Early Modern Scholastic Natural Philosophy? The Case for Cosmology," Noûs 18 (1984): 5-14.

 天の不可滅性への支持がアリストテレス主義者のあいだで失われていったことを根拠に、ルネサンス以降のアリストテレス主義は中世のアリストテレス主義から大きく異なっていたと主張する論文です。月より上の領域に変化が起こらないというアリストテレスの主張は、中世スコラ学ではほぼ自明視されていました。しかしティコ・ブラーエによって1572年の新星と1577年の彗星が月より上の領域に存在することが示され、さらにはガリレオの望遠鏡によって太陽の黒点が発見されたことは、天の不可滅性という伝統的主張を決定的に揺るがすものでした。この中でアリストテレス主義者たちは、様々な反応を示しました。たとえば彗星や新星が月より上の領域にあることを否定したり、あるいはこの手の否定が無理筋になってくると、これらの現象は天における実体変化の結果生まれているのではないのだから、天は不可滅であるという伝統的学説は維持されると主張したりしました(たとえば目には見えないが実は存在していた複数の星が接近することで一時的に地上から視認できるほどに輝く領域が生じることが新星[今では超新星爆発と解釈されている]の原因だと主張したりします)。しかし同時に教父たちに依拠して天は水と火から成っているとし、そのため天は可滅的だという主張に踏み出す者もいました。全体として1600年代後半以降は多くのスコラ学者が天の可滅性を支持するようになります。しかし問題が完全に収束したわけではなく、多くのアリストテレス主義者が今でも天の不可滅性を信じていると述べている18世紀イエズス会士の発言を見いだすことができます。