校正する娘たち

The Culture of Correction in Renaissance Europe (Panizzi Lectures)

The Culture of Correction in Renaissance Europe (Panizzi Lectures)

  • Anthony Grafton, The Culture of Correction in Renaissance Europe (London: British Library, 2011), 1–77.

 15世紀半ばから17世紀終わりまでの校正者たちを扱った著作です。グラフトンの博識とユーモアがいかんなく発揮された傑作だと思います。とにかく引かれる話がいちいち面白い。

 何気にcorrectorという英語に校正者という単語をあててしまいました。しかし実際に当時ラテン語でcorrectorと呼ばれた人たちが行っていたのは、校正だけではありませんでした。索引をつくったり、本文を章分けたり、章の内容を要約したり、宣伝文句を作成したりと実に様々なことを彼らは行いました。したがって彼らをあえて英語で呼ぶならば print professional という言葉がふさわしいということになりそうです。

 狭い意味での校正の作業は二人一組で行われるのが基本でした。これは古代からすでに行われていたことです。写本を複写するさいには、一人がオリジナルの写本を声に出してよんで、もう一人が複写された写本をチェックしていました。印刷所でも同じことが行われていました。

 この二つの役割のうち、読み手の側について非常に面白い逸話が紹介されています。印刷所を経営していたプランタンという人物が1570年の手紙の中で自分の5人の娘について書いています。彼によれば娘たちはまだ若すぎるため、家の中の仕事や印刷所での作業をまかせることはできない。だから「私は彼女たちに書いて読むことを教えて、4, 5歳から12歳までのあいだ、上から4人がその年齢と地位にしたがって、私が印刷を求められているすべての言語についてその校正刷りを印刷所で読むことを手伝うようにした」。たとえば彼の四女は多言語版聖書の製作のさいにヘブライ語アラム語、シリア語、ギリシア語、ラテン語を印刷所で読んだとプランタンは書いています。

 親ばかなのか?どうやらそうではないようです。とある人物がプランタンの印刷所の校正者の一人に、本当に社長の娘はラテン語だけじゃなくてギリシア語やヘブライ語が読み書きできたのかね、と質問しました。校正者からの答えによると、彼女は「ヘブライ語ギリシア語とラテン語を極めてりゅうちょうに読むことができた。しかしそれを理解することはできなかった」。つまりプランタンの言っていたことは正しい。ただし娘が様々な言語を「読める」と彼が言ったことの意味は、彼女がそれらを「声に出して読むことができる」ということでした。

 プランタンの印刷所でつくられていた多言語版聖書の校正刷りが残されています。そこには編者が校正者に向けて書いた書き込み(あるいは逆に校正者が編者に向けて書いた書き込み)が多数残されています。そのなかの一つで編者が校正者に向けて、例のプランタン四女について書いています。「君はあの娘に急いで来るように伝えるべきだ。なにしろ彼女は毎日遅れてきすぎじゃないか」。お父さんのプランタンは自慢の娘がしばしば遅刻していたことに触れていません。彼は知らなかったのでしょう。実際、編者自身もこの文句(の内容)が社長に知られるのはまずいと思っていたようです。この文句、ヘブライ語で書かれているそうな。