アイザック・ニュートンの黙示録 Iliffe, Newton, #2

Newton: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

Newton: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

 ニュートンはおそらく1670年代のはやい時期には、反三位一体論者となっていた。三位一体とは意味不明の教義であり、4世紀にアタナシオスをはじめとする聖書の冒涜者たちによって導入されたものだというのだ。聖書にはキリストが父である神とは異なり、神に比べると劣る存在であるとはっきりと書かれている。三位一体を支持するかのように見える文言は後代に挿入されたものであるか、誤解に基づいている。キリスト教の教えは本来極めて単純なものだ。イエスはメシアであり、神の子であり、十字架上で刑死したのちに復活しており、いつの日にか裁きのために再臨する。この単純な教えが三位一体をはじめとするカトリックの誤った教義により損なわれたことが、キリスト教の衰退をもたらしているとニュートンは考えていた。神はこのことを明らかにするために自分を選んだのであり、それゆえこれこそ自分がなしとげられることがらのうちでもっとも重要であるとニュートンは考える。

 とはいえ選ばれた少数の人間には聖書に書かれた隠された意味を明らかにすることができるともニュートンは考えていた。もっとも重要な文書はヨハネの黙示録だ。1675年から85年(『プリンキピア』執筆時期とも重なる)にかけて書かれた黙示録解釈の草稿からは、ニュートンが黙示録の記述をいかなる歴史上の出来事の予言とみなしていたかを知ることができる。黙示録には7つのラッパが1つずつ吹かれるシーンと、7つの鉢から中身の水が注がれるシーンがある。ニュートンによればこれらラッパと鉢のシーンは一対一対応しており、それぞれの組みが歴史上の出来事の予言となっている。380年にアタナシオスの三位一体の教義が公式の教えとなるという背教行為が起こる(ちなみにこれが「第七の封印」の解放)と、「獣の刻印を押されている人間たち、また、獣の像を礼拝する者たちに悪性のはれ物ができた」。カトリックがゴート族の侵入に苦しめられるようになる。410年にはローマが略奪された。これは第二の鉢が注がれると、「海は死人の血のようになって、その中の生き物はすべて死んでしまった」に対応する。第三のラッパと鉢の描写は、カトリック教徒たちがアフリカでヴァンダル族に殺されることを予言する。彼らが殺されたことは神の正義にかなったことであった。第四のラッパと鉢は、偶像とマリア崇拝が起こることを予言する。第五のラッパが吹かれるといなごの群れが地上にあらわれて、額に神の刻印を押されていない人に害を加えたという。これはイスラム教の台頭を予言する。「この人々は、その期間、死にたいと思っても死ぬことができず、切に死を望んでも、死の方が逃げていく」とは、イスラム教徒が何度もコンスタンティノープルを包囲しながら、陥落させることはできないことを予言している。第六のラッパ・鉢はいぜんとして偶像崇拝を続け、魔術行為に手を染めるカトリックに試練が与えられることを予言している。具体的にはオスマン帝国の台頭だ。1453年のコンスタンティノープル陥落は、「人間の三分の一が殺された」という記述に対応する。

 ニュートンの黙示録解釈は独創的なものであると同時に、ラディカルなプロテスタントが与えていた解釈や読解方法と重なる部分もあった。彼は自分の聖書解釈を、その自然哲学と同じく、証拠と観察に基づいて歴史のうちでいかに予言が成就してきたかを明らかにする営みだととらえていた。