Epicureanism at the Origins of Modernity
- 作者: Catherine Wilson
- 出版社/メーカー: Oxford University Press, U.S.A.
- 発売日: 2011/03/22
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- Catherine Wilson, Epicureanism at the Origins of Modernity (Oxford: Clarendon Press, 2008), 71–81.
いろいろな現象を目には見えない粒子の作用として説明することは、ジロラモ・フラカストロが伝染病を見えない病気の種子の伝播によって説明して以来(1546年)、盛んに行われるようになりました。たとえばウォルター・チャールトンは少年はその姉(か妹)とつよい共感性をもっているため、たとえ何マイル離れていても少年から姉へと天然痘や黒死病の原子が飛んでいって、病気が伝染するのだと主張しています。磁力もまた微細な粒子の作用によって起こると考えられており、ヘンリー・パワーのようにその粒子を顕微鏡で見ようと頑張っているやつもいました。
空気中にいろいろなタイプの粒子が浮かんでいて、それが人体に入ってくるということはすでにルクレティウスが『事物の本性について』のなかで論じていました。ボイルもまた粒子状の蒸気が大地から吹き出したり、天の星から下降してくるために、空気というのはこのような多様な種類の粒子によって満ちていると考えていました。もちろん彼にとって究極的な粒子というのは一様です。しかしそのような粒子が集合して一定の特徴を持つ粒子の集塊をつくと、それは容易には分解されず、その特性を保持したまま空中を漂っていることも可能だとされました。このような粒子の中には何か生命活動を維持するものもあると考えられました。なぜなら動物を空気ポンプに入れて、空気を抜くと死ぬから。
この生命活動に必須の物質をジョン・メイヨーは硝酸だと考えました。彼によれば太陽から大量の気体状の硝酸がばらまかれていて、それが呼吸により体内に入ると体内の粒子との衝突により熱と生命活動に必要な発酵作用を引き起こします。また彼はボイルとは異なり、硝酸のような個々の粒子は一様な物質には還元できないと考えました。これは一様な粒子を措定することで、その操作で物質の変成を可能にし、自然を操作し利益を引き出そうという機械論の究極目標からは外れたものだったので、ボイルとオルデンブルクは高く評価しませんでした。