テミスティオスの能動、可能、共通知性
- 作者: Frederic Maxwell Schroeder,Robert B. Todd,Alexander,Themistius
- 出版社/メーカー: Pontifical Inst of Medieval studies
- 発売日: 1990/01/01
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- Frederic M. Schroeder and Robert B. Todd, trans., Two Greek Aristotelian Commentators on the Intellect (Toronto: Pontifical Institute of Mediaeval Studies, 1990), 103-113.
テミスティオスの『霊魂論パラフレーズ』から能動知性と可能知性について論じた部分を読みました。どうやらテミスティオスは2種類の能動知性を想定していたようです。第一にすべての人間に共通の能動知性。第二に各人に固有の能動知性です。各人に固有といっても、そのそれぞれが第一の能動知性や他の人の能動知性と種的に異なるわけではありません。能動知性というのは可能知性が何を考えうるかということを貯蔵するプールのようなものなので、もし異なる人間が同じことを考えうるならば、その考えていることの同一性は、その源となる能動知性の同一性を要求します。もしこの同一性がないなら、人々が同じことを考えることはできず、意思疎通ができないことになります。したがって能動知性は原理的に同一でなくてはなりません。ではなぜ同一の能動知性が各人に分化するのか。それは一つの光源(万人に共通の能動知性)からでた光が様々に分化して見られる(これが各人の能動知性)ことと類比的に理解できるとテミスティオスは考えていました。
テミスティオスの理論のもう一つの特徴は、可能知性と質料との関連性を否定する点です。アレクサンドロスのアフロディシアスは可能知性は常に質料と不可分であるということから、それを質料的知性と呼びました。これにたいしてテミスティオスは可能知性は質料から分離されており、永遠であると考えます。この可能知性が肉体と結びつくことができるのは、それらを媒介するさらにもうひとつの知性があるからだとされます。それは受動知性とか共通知性とか言われたりします。これは知性と呼ばれてはいるものの、むしろパトスと同一視されているようです。