ゲオルグ・エルンスト・シュタールの霊魂論 Chang, "The Matter of Life"

  • Ku-Ming (Kevin) Chang, "The Matter of Life: Georg Ernst Stahl and the Reconceptualizations of Matter, Body and Life in Early Modern Europe" (PhD. diss., University of Chicago, 2002), 169-224.

 ゲオルグ・エルンスト・シュタール(1660–1734)を扱った博士論文のなかから、霊魂論をとりあげた第4章を読みました。反機械論者として理解されがちなシュタールの理論を、初期近代における生気論(vitalism)とデカルトによるその拒絶という文脈においてより精密に理解しようという試みです。初期近代の生気論においては、普遍的に行き渡る生命原理が、物質に外から付与されるか、あるいはそもそも物質には本性的に何らかの生命原理が内在していると考えられていました。これをデカルトは拒絶します。非物質的なのは人間霊魂だけである。その他はすべて物質である。物質に起因する現象はすべて機械的に説明できるというわけです。しかしこのようなラディカルな理論は説明能力に欠けると多くの知識人は考えました。そこでたとえばラルフ・カドワースは、受動的で運動法則に従うしかない物質にたいして、神の道具として作用してこのよに秩序をもたらす形成的自然なるものを想定しました。これは物質観としてはデカルトのものを維持しつつ、従来の生気論で担保されていた生命原理を再導入する試みです。

 シュタールもまた厳密な機械論を避けて生物にそれ特有の生命原理を認める点ではカドワースと同じ道を辿りました。しかし2人はその原理の規定において意見を異にします。カドワースにとって生命原理は世界に普遍的に行き渡る形成的原理でした。これにたいしてシュタールはそのような遍在する原理を否定します。有機体のうちにのみその活動を規定する霊魂があるというのです。シュタールにとって霊魂の主要な機能とは、物質である身体が機械的・化学的な法則にしたがって腐敗していくのに抗して、継続的に補修活動を行うことにありました。シュタールは生命的エコノミーという術語を用いて、有機体という家の中で家長としてその存続を統括する霊魂というイメージを与えています。

 このようなシュタールの理論にライプニッツは異議をとなえます。彼の異議は他の多くの論者に対するものと同型で、非物質的な霊魂が物質たる身体に作用することで、身体の運動のあり方を変えるというシュタールの主張に向けられます。ライプニッツにとって非物質的な霊魂が物質に作用することは「絶対に説明できない」。非物質的な領域と物質的領域は完全に独立でありながら、神が定めた予定調和により、あたかも互いに呼応しあっているかのように働いていると考えねばなりません。これにたいしてシュタールは心的な状態の変化が病気を引き起こすことがある以上、経験的に霊魂が身体に働きかけることは明らかであるとしてライプニッツの異議をしりぞけます。

 ではシュタールは霊魂から身体への働きかけをどう説明したのか。彼に特徴的なのは、伝統的な精気の学説を拒絶する点です。物質と非物質を媒介するものとして、極度に精妙な物質からなる精気が長きに渡って想定されてきました。媒介者の存在を否定したシュタールは霊魂が直接的に物質に働きかける理論を考え出す必要がありました。彼の立論の核には運動がありました。ここで理論に曖昧さが生じます。シュタールはある箇所では霊魂が運動を産み出して物質に与えると考え、別の箇所(とくにライプニッツの批判を受けたあと)では霊魂が物質に運動を引き起こす能力を持っていると考えています。いずれにせよ、運動が霊魂の道具として機能することで、霊魂は身体に直接的に働きかけられることになります。

 運動についてのシュタールの理論は(その曖昧さからか)支持者を獲得できませんでした。しかし生命原理を偏在させる生気論を拒否し、霊魂を有機体のみに限定する彼の理論は、18世紀に花開く生気論の展開を可能にすることになります。