初期近代の情報処理技術

Too Much to Know: Managing Scholarly Information before the Modern Age

Too Much to Know: Managing Scholarly Information before the Modern Age

  • Ann M. Blair, Too Much to Know: Managing Scholarly Information before the Modern Age (New Haven: Yale University Press, 2010), 1–10.

 初期近代における情報処理(information management)のあり方を調べた本の序文を読みました。知るべきことが多すぎて、時間も金も足りないということは私たちが日々感じることでしょう。しかしこの手の実感は新しいものでもなんでもなくて、すでに古代から繰り返し表明されていたものです。たとえば古代ローマの哲学者であるセネカは次のように述べています(セネカについては15ページ)。

学問研究上の支出は最も立派な支出であるが、それでさえ一定の限度が適当である。無数の書物や蔵書を一体どうしようというのか。その所有者が一生の間に表題さえ読むことのないそれらを。これらの本の山は学習者の重荷にこそなれ、その教えにはならぬ*1

 こうして山積し続ける大量の情報をすばやく処理するための技法(索引をつくったりレイアウトを工夫したりすること)はすでに中世から行われていました。情報を蓄え(store)、分類し(sort)、選択し(select)、要約する(summarize)すること(the Four Sと著者は呼ぶ)も中世においてすでに行われています。しかしルネサンス期に入ると、可能な限りの情報を集め処理せねばならないという熱意が広く共有されるようになりました。古代の多くの学知が失われたというトラウマを繰り返さないためです。その結果、様々な著作からの抜粋を整序することから成り立つ巨大なreference booksが生み出されます。1500年から1700年にかけてこの種の本は、極めて高い頻度で用いられるようになります(ただしそれらを使ったことを表だって認める著者はすくなかった)。

 これらの本はどのようにつくられていたのか。どのように読まれていたのか。reference booksの検討から印刷技術の出現のインパクトはどう見積もられるのか。ラテン語で書かれていたこれらreference booksが、「辞書の時代」と言われる18世紀の俗語版reference booksの爆発的増加にどう寄与したのか。これらの問いが本書では探求されることになります。

*1:『心の平静について』。ミシェル・フーコー『主体の解釈学』廣瀬、原訳、417ページより引用