医師なる王の出現 マルク・ブロック『王の奇跡』

王の奇跡―王権の超自然的性格に関する研究/特にフランスとイギリスの場合

王の奇跡―王権の超自然的性格に関する研究/特にフランスとイギリスの場合

  • マルク・ブロック『王の奇跡 王権の超自然的性格に関する研究 特にフランスとイギリスの場合』井上泰男、渡邊昌美訳、刀水書房、1998年、7–87ページ。

 マルク・ブロックの主著の一つから、序論と第1部を読みました。10世紀の終わりごろから17世紀にいたるまで、ヨーロッパの王たちにある特別な能力が帰せられていました。病気の患者に触れることにより、彼らを治癒するというものです。王がなすこの奇跡を検討することにより、中世の王権や王権の観念を支えていた人々の集合意識についてなにが言えるでしょうか。これがブロックの課題です。王が王であるがゆえに病を癒すことができるとみなされはじめた最初の王はカペー朝第2代のロベール(在位 996–1031)です。「この完徳の王に神はかくも大いなる恩寵、すなわち肉体を治癒する力という恩恵を授けたもうた。いとも敬虔なる王の手が傷口にふれ、聖なる十字の印がなされるや、病人は病の苦痛から救われたのである」(31ページ)。権力基盤が不安定であったカペー家には王位の正統性を再定位する必要がありました。おそらく敬虔なキリスト教徒であり、王として聖別されていたロベールに、聖なる力としての治癒能力が備わっているとみなすものたちが現れ、その認識を王権側が利用したのだと思われます。この力は王が聖別されていることに由来すると同時に、王に内在的に備わっている聖性(古来よりあり往時にも残存していた観念)にも由来するとみなされていました。だからこそ、ロベールの後継者たちは、自分たちはこの奇跡を起こす力を相続したと主張できたのです。その過程で当初無差別に病気を癒す能力であったものが、瘰癧(今でいう結核菌によるリンパ腺の炎症におおよそ相当)という特定の病気を治す能力に限定されていきました。イギリスではこれまた必ずしも権力基盤が安定していなかったヘンリ1世(在位 1100–1135)が、接触により瘰癧を治す能力を持つ王という観念を取り込みました。この時にエドワード懺悔王(在位 1042–1066)がこの能力を行使したことがあるという伝承が利用・拡張され、それが王家伝来の霊力として定位されます。シェイクスピアの『マクベス』でエドワードに治癒能力が帰されるのもこのためです。こうしてフランスにおいてもイギリスにおいても、キリスト教の聖別された王という観念、古来よりある聖なる王という認識、王権側の正統性を調達しようという思惑が重なりあうことで、10世紀から12世紀にかけて、接触により病、とりわけ瘰癧を癒す能力を王が有するという考えが形成されました。

 要約すると真価が失われてしまう著作です。なぜならここでブロックは史料批判と研究文献の吟味からいかに歴史を立ち上げるかというプロセスを提示してみせているからです。今日取り上げた箇所では、決して多くない証拠を厳しく批判にかけその意味するところを探り、史料が欠如している領域については比較史や人類学を援用してありえた道筋を再構成しようとしています。史料批判に基づく総合により問いに答えていくことこそが歴史学の本体なのだということを体現しています。